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検診センター休診のお知らせ

学会等による医師不在のため、下記のとおり、検診センターを休診といたします。
人間ドック、各種検診、ご予約、検便等の提出はできませんので、あらかじめご了承ください。

【休診日】
平成27年7月30日(木)〜 7月31日(金)

障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例検討会に参加して

報告:第231回(15‐05月)済生会新潟第二病院眼科勉強会 遁所直樹

演題:「(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例検討会に参加して」
講師:遁所 直樹(社会福祉法人 自立生活福祉会事務局長)
日時:平成27年5月13日(水)16:30 〜 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
http://andonoburo.net/on/3623

講演要約

「はじめに」

 障害者権利条約(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)とは、あらゆる障害者(身体障害、知的障害及び精神障害等)の、尊厳と権利を保障するための人権条約です。

 このたび新潟市に障がいを持った人を差別しないでほしいという条例が 5月8日新潟市に提出されました。障害者の権利に関する条約(国連障害者権利条約)が国連総会で満場一致採択(2006年12月13日)。世界は障害者福祉について、障害者を保護・擁護するということから、権利を尊重するという方向に舵を切りました。わが国は、2007年9月28日に署名。6年半の歳月を要して2013年12月4日、日本の参議院本会議は、障害者基本法や障害者差別解消法の成立に伴い、国内の法律が条約の求める水準に達したとして、条約の批准を承認しました。
 2014年2月19日「障害者の権利に関する条約」が発効。千葉県を皮切りに各地で条例作りが進んでいます。新潟市も2年半をかけて条例づくりを行い、10月には条例公布・一部施行の予定という段階まで来ています(新潟県は着手していない)。この度、条例素案に対する意見募集(パブリックコメント)が、いよいよ始まりました。

「日本が署名から批准に年月を要した理由」

 すべてのベースは国連障害者権利条約 ( 2006年12月13日国連総会で満場一致採択)から始まっています。日本は 2007年に署名を済ませすぐにでも批准を目指したいとこだったのですが、障害者団体が署名に待ったをかけました。なぜならば日本の障害者の法律が理念法にとどまり障害者権利条約の求めるものにほど遠いものだったからです。
 こどもの権利条約の時は署名をしてすぐに批准をしたのです。しかしその時は、日本のこどもの法律が理念法にとどまり深く議論されることなく、新潟市のこども権利条例も成立には至らなかった経過があります。
こどもの権利条約のときの経緯を踏まえ、今回の批准に向けた動きについて慎重に行うということで障害者団体が大きな力を発揮します。民主党の政権の波もうけ、内閣府で障がい者制度改革推進会議が開かれ 50人以上の委員が討論をしてその経過もオンデマンドですべての国民に公開するというものです。障害者基本法が改正され、手話が言語として認められ、障害者総合福祉法骨格提言を受け、障害者総合支援法、障害者差別解消法などの法的整備が整い署名まで至りました。

「Nothing about us without us」

 “Nothing about us without us”(私たち抜きに私たちのことを決めるな)というスローガンのもと千葉県が初めて条例を作ったのです。障がいを持った人が理不尽を感じたときそれを意思表明できる場所が必要です。新潟市でも条例を策定すべく施策審査会の委員で策定委員会を作りその骨子を市長に提出し条例部会が発足したのです。

「条例の名称」

 新潟市では、条例の名称からいろいろ意見が交わされました。当初の仮称は「障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例検討会」でした。それが「障がいのある人もない人も共に生きる新潟市づくり条例」と名称が提案されたのです。共に生きるという言葉についてもやもや感があったのですが、障がい者と健常者が対峙するかのように両輪のたとえではないか、一人ひとりが生かされるという言葉で当初条例の名前が仮として紹介されたのですが、ペアであってペアーズとならないというご指摘いただきました。

「条例を審議するうえでの問題点が続出」

 新潟市の条例案は障害者差別解消法ができてからの条例となります。そのため十分な論議をしないと障害者差別解消法を踏襲してしまい特色ある条例とはならないことが心配されました。今回の検討会で不慣れなことがいっぱい出てまいりました。義務と努力義務、不当な差別行為と合理的配慮の不提供、新潟市の責務、新潟市民の責務など行政の提案通りに進めばシャンシャンとなりますが一つ一つ丁寧に検証していくと義務と努力義務では大きな違いがあります。

「努力義務と法的義務」

 障害者差別解消法では民間事業者に対する合理的配慮を努力義務としています。しかし、努力義務では、障がいのある人に対する誤解や偏見を取り除く、話し合いのテーブルに着かないことが考えられるため、市条例では法的義務としています。ただし、法的義務であっても、条例に従うことを強制するのではなく、話し合いにより互いの理解を深めることで解決を目指します。

「合理的配慮」

 民間事業者に対する合理的配慮の不提供について法的義務としたことはこの条例の目玉の一つです。努力義務でよい事業所さんはもともと理解があり合理的配慮をしてくださいます。話し合いのテーブルについていただくために法的義務としたのです。中間まとめで8区をまわった時はこの部分は努力義務でした。議論を重ねていうちに上記の理由から法的義務と修正したのです。
 不当な差別行為とは障害そのものに対する差別、車いすでは電車に乗ることができないなどの拒否がありますが東京オリンピック、パラリンピックに向け新潟市だけでなく全国で街づくりをユニバーサルの視点で行い不当な差別行為を軽減していくことも期待されています。

「バリアフリーよりユニバーサルデザイン」

 合理的配慮の不提供についてそもそも合理的配慮とは、障がいを持った人が世の中に出ていくためのスタートラインを平等にするという解釈を私はしています。その視点はやはりユニバーサルデザインであり、障がい者にだけ便利(バリアフリー)なということでなく、すべての人に便利であることが合理的配慮です。具体的には車いす利用者のためのリフトバスよりも高齢者から幼児、お祭りに行くため着物の人たちにも使いやすい低床バスが普及することにより、合理的配慮も抵抗なく受け入れられるということです。

「おわりに」

 この条例が議会で可決され公布されたところから権利擁護が始まります。この条例で元気をつけた障がいを持った人が社会の理不尽さを自ら考え、人に発信していく。そして話しを聞いてくれる人を増やしていくこと。最終的にはこの条例が血の通ったものとなることを願っています。

PS:お願い『声を届けましょう』
募集中『(仮称)障がいのある人もない人も共に生きる新潟市づくり条例素案に対する意見募集(パブリックコメント)』
 〜 締切:6月19日(金曜)
【問い合わせ先】
 新潟市福祉部 障がい福祉課 共生社会推進担当 (市役所第一分館2階)
 〒951-8550 新潟市学校町通1番町602番地1
 電話:025-226-1248 FAX:025-223-1500
 Eメールアドレス:shogai.wl@city.niigata.lg.jp

遁所 直樹:プロフィール

新潟大学大学院博士課程1年時頚椎 4番5番骨折頚髄損傷
平成10年から介護老人保健施設ケアポートすなやま勤務
平成12年から NPO法人自立生活センター新潟勤務
平成23年から社会福祉法人自立生活福祉会事務局長
新潟市障がい者施策審議会委員
(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例検討会委員

後記

 先進諸国に遅れ、我が国でもやっと「障害者の権利に関する条約」が2014年2月19日発効し、千葉県を皮切りに各地で条例作りが進んでいます。新潟市も2年半をかけて条例づくりが行われ、今年2015年10月には条例公布・一部施行の予定という段階まで来ています(新潟県はまだ着手していません)。こうした状況は、案外多くの方に知られていないのが現状ではないでしょうか?今回、新潟市の条例作成委員の一人である遁所直樹氏をお迎えして、これまでの経緯、全国の状況、新潟市での状況をお聞きしました。
 こうした条例作りには、行政の思惑や、企業等の利害、障害者の人権に対する思い入れなどの違いなどがあり、策定上は様々な困難があることが予想されましたが、今回のお話をお聞きしてより深く知ることが出来ました。
 「障害者の権利に関する条約」に関する条例を各地で策定するということは、障がいを持った人が理不尽を感じたときそれを意思表明できる場所を作ることと理解しました。すなわち、この条例が議会で可決され公布されたところから権利擁護が始まるという、遁所氏の主張が良く理解できました。
 新潟市での意見募集(パブリックコメント)は、もうじき締め切られますが、多くの声を行政に届けたいと思います。また、全国の皆様のお所でも行われているであろう条例作りに、多くの方が関心を持つことを希望します。

NIC黒埼健康セミナーを開催

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5月16日、NIC黒埼(日報インフォメーションセンター)の2階で、「NIC黒埼健康セミナー」を開催しました。これは、新潟日報社と当院の共同企画事業で、今回で4回目の開催となります。今回は、「看護師に聞く がんってどんな病気?」と題し、当院のがん性疼痛看護認定看護師の此村奈都美が講演しました。およそ20人の参加者からは、アンケート結果からもお分かりのようにとても高評価を受けました。第5回以降も参加者の皆様に喜んでいただけるような医療・介護・福祉の話題提供をさせていただきます。

(地域連携福祉センター 副センター長 斎川 克之)

アンケート結果はこちら

※講演会の様子は5月22日の新潟日報にも掲載されています。

テナント入替に伴う工事のお知らせ

標記の件につきまして、下記日程で2階テナントエリアにて工事を行います。工事中は騒音・振動等の発生によりご迷惑をお掛け致しますが、ご理解の上、ご協力の程宜しくお願い致します。

 

【期間】平成27年5月31日 〜 平成27年6月30日まで

 

※工事期間の対応等については「テナント入替スケジュール」をご確認下さい。

知る・学ぶ、そしてユーモアを忘れずに挑戦していくことの大切さ

報告:第230回(15‐04月)済生会新潟第二病院眼科勉強会 阿部直子

報告:第230回(15‐04月)済生会新潟第二病院眼科勉強会 阿部直子
演題:知る・学ぶ、そしてユーモアを忘れずに挑戦していくことの大切さ―「慢性眼科患者」の経験から私が学んだこと―
講師:阿部直子(アイサポート仙台 主任相談員/社会福祉士)
日時:平成27年4月8日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院眼科外来
http://andonoburo.net/on/3559

講演要約

 両目のまぶたに先天的な症状を持って生まれた私は、生後まもなくの頃から眼科とのおつきあいが始まりました。以来、40数年経った今も年数回の眼科受診を続けながら日常生活を送っています。

 紆余曲折の末に辿り着いた大学院教育学研究科で学んだことが活かせる職種の職員募集が仙台市の市政だよりに載っていることを私に教えてくれた教官のおかげで、大学院修了後はさまざまな障害を持つ方の生活相談支援を担う部署に相談員として就職しました。人よりけっこう遅い「社会人1年生」のスタートを切ったことになります。そして、たまたま同じ時期に始まった仙台市の地域リハビリテーションモデル事業で視覚障害者支援に関するプロジェクトのいわば「現場スタッフ」の仕事も担当させていただくことになりました。このモデル事業が基盤となって仙台市中途視覚障害者支援センターが仙台市単独事業として2005年に始まりました。今年(2015年)の春でちょうど10周年です。

 支援センターでのもっとも中心となる業務は相談です。視覚障害を持つ方やその家族などから寄せられる相談に応じ、情報提供したり、福祉サービスの利用を円滑に受けられるようにするために福祉事務所等での手続きを支援したり、あるいは経済的な基盤を確保するために障害年金の請求手続きに必要な書類集めのサポートをしたり、病気や症状への適応の過程で生じる心理的葛藤につきあったり、見えない・見えにくい状況で生活する上でのちょっとした工夫(感覚の活用、道具の活用など)を助言したり……と、その内容はさまざまです。市民(視覚障害を持つ人ご本人や家族)から直接連絡をいただく以外にも、例えば病院の眼科や糖尿病内科などに勤務する医師や看護師から入院中の患者さんのことで支援協力の依頼が入り、病棟を訪問して本人・家族とお会いし、退院して後の自宅での生活再開に向けて必要な情報を提供したり手続きを支援したりすることもおこなっています。

 お互いになかなか出会う機会がなく、それゆえ、ともすると孤立しがちな中途視覚障害者やその家族を主な対象とした「目の不自由な方と家族の交流会」を毎月1回開催しています。さらに、支援者どうしが分野や組織の枠を超えて交流し、お互いの専門分野を話題提供して学びあったり人脈づくりをしたりすることを目的として2000年の夏に始まった「仙台ロービジョン勉強会」の事務局役割を2006年から引き受け、こちらも毎月1回開催しています。

 このようにさまざまな視覚障害者の生活設計・生活再建、あるいは眼科の患者さんやその家族が直面する心の動揺や葛藤を整理していく過程にソーシャルワーカーとして直接・間接にかかわる現在の業務を個人的なライフヒストリーを交えながら振り返ってみた時、「自分の体験だけでモノゴトのすべてを考えてはいけない」と思いつつも、ものごころつく頃からの眼科での患児・患者としての経験から得たこと、社会全体からみればマイノリティ(少数者)であるロービジョンの状態で育ち生活してきた体験から学んだことが今の私に少なからぬ影響を与えていると気づかされます。

 私の場合、「低い視機能(ロービジョン)のために生じる『見える・見えないを行ったり来たり』とどうつきあうか?」という要素と、「義眼の管理や人工涙液の頻回点眼、痛みや疲れの軽減対策など、いわば『目の内部障害』とどうつきあうか?」という要素に整理されるのではないか、と自分の状況をとらえています。そして、「症状の変化(進行)に対して、心理的に、あるいは具体的な行動技術や道具の活用の工夫などによってどのように適応していくか?」を考えなければいけない場面に直面した時、しんどかったりつらかったりすることがないわけではない、というのが正直な状況です。

 しかし、小児眼科(こども病院)時代に患児として眺めた医師をはじめとする多様なかかわり手どうしの連携と役割分担の姿や、国際障害者年(1981年)の1年間にテレビや映画で接した、国内・海外に暮らすさまざまな障害者が自身の障害とつきあいながらも社会の中でいきいきとその人・その人の役割を果たしている/果たそうとしている姿から学んだことは現在、私にとって「思考の基本・お手本」としてとくに強い影響を与えているように思います。

 そんな慢性眼科患者としての生活過程を振り返ってみて、疾患(やそのために生じる機能低下・喪失)とよりよくつきあいながら暮らしていくうえで重要なことを考えてみました。
(1)「私もあんなふうになりたい」「なれるかも…」と思えるような良き手本となる人の行動・生きざまに触れることによって気持ちの上で強くなれるように思います。
(2)世界の多様な多民族・多文化事情やマイノリティ事情、弱さに起因する社会問題を知ることによって、疾患や障害のために直面する課題を客観的・相対的にとらえる視点を育むことができるように思います。
(3)失敗や挫折、困難や苦労を「何事も経験」ととらえ直すことによって、心の余裕が生まれるように思います。
(4)教育の力・笑いの力は困難な状況をのりきっていくうえで重要ではないでしょうか。

略歴

兵庫県出身。関西と関東を行き来しながら子ども時代を過ごす。
1995年 同志社大学文学部文化史学専攻卒業
2001年 東北大学大学院教育学研究科教育心理学専攻修士課程修了
2001年 (財)仙台市身体障害者福祉協会に仙台市太白障害者生活支援センター相談員として入職。この間、仙台市地域リハビリテーションモデル事業運営協議会ワーキンググループ委員(2002年~2004年)、中途視覚障害者への地域リハビリテーションシステム研究事業ワーキンググループ委員(2004年~2005年)を経験。
2005年 視覚障害者を支援する会(現在のNPO法人アイサポート仙台)に仙台市中途視覚障害者支援センター相談員として入職

@NPO法人アイサポート仙台
http://www15.plala.or.jp/isupport/

後記

 阿部直子さんは、魅力いっぱいな素敵な女性でした。アイサポート仙台は、相談も患者さんのみでなく、医師や医療関係者が訪れるというのはビックリでした。行政と対決するのでなく、味方につけての活動は、時として制約もあろうかと思いますが、ことをなす王道です。今年創立10周年を迎えたということですが、色々な職種の方々が集ってここまで続けてこられたのは素晴らしいものです。「中途視覚障害者交流会」(毎月)、「仙台ロービジョン勉強会」(毎月)も充実しているようです。

 「慢性眼科患者」としてのライフヒストリーでは、ご自身の障害のことをカミングアウトして頂きました。医師は病気の診断と治療を行いますが、生活上のご苦労はあまり知りません。貴重なお話を伺いました。最後に強調された、知る・学ぶ、ユーモアを忘れずに挑戦していくというくだりは、納得して聞くことが出来ました。阿部先生のお話をお聞きして、改めて魅力をいくつも発見しました。参加者から「軽い語りかけで救われる」という感想もありましたが、明るい語り口は魅力です。ご両親の愛情をたっぷりと受けて育ったのだろうと感じました。

 蛇足になりますが、我が国におけるロービジョンケアの先駆者として、弱視学級設立に尽力した小柳美三東北大眼科教授(初代)が、日本眼科学会創立100周年記念誌に紹介されています。「1929年に小柳美三東北大眼科教授がLV児の特殊教育の必要性を訴え、1933年に南山尋常小学校(東京麻布)に全国初の弱視学級が開設された。」

 加えて、東大眼科の原田政美先生が、1965年に東北大学教育学部教育心理学科の視覚欠陥学講座に教授として赴任し、視覚障害リハビリテーションに尽力されています。こうしたことから「仙台が日本のロービジョンケア発祥の地なのでは?」という思いを強くしています。

 このような背景を知ると、阿部先生が作り上げてきたアイサポート仙台は、偶然ではないという思いがします。創立10年を迎え、これからますます飛躍の時だと思います。今後の活躍を祈念しています。

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