HOME > author : c15eehzg

All posts by c15eehzg

高次脳機能障害と向き合う ~神経心理ピラミッドを用いたホリスティック・アプローチ~

報告:『済生会新潟第二病院眼科公開講座 治療とリハビリ』立神粧子(フェリス)

 眼の愛護デー(10月10日)に、8都府県から眼科医・内科医・神経内科医・リハビリ医・麻酔医やリハビリ関係者・教育者・当事者等々、約60名が参加し、済生会新潟第二病院10階会議室で公開講座「治療とリハビリ」を行いました。
 今回、立神粧子先生(フェリス女学院大学教授)の講演要約を参加者の感想と共に紹介します。

特別講演3:「高次脳機能障害と向き合う~神経心理ピラミッドを用いたホリスティック・アプローチ~」講師:立神粧子(フェリス女学院大学教授)
http://andonoburo.net/on/4141

講演要約

 2001年の秋に重篤なくも膜下出血で倒れた夫はコイル塞栓術、脳室ドレナージ術、V?Pシャント術を受け、命は助かったものの脳損傷(高次脳機能障害)が残存した。2004年の春から1年間、New York大学の「Rusk研究所脳損傷通院プログラム」に通い、日本ではなかなか改善できなかった諸症状が劇的に改善した。Ruskの通院プログラムは認知機能の神経心理ピラミッドを訓練の核として用いる脳損傷者のための機能回復プログラムで、その療法哲学は自己の再構築という目的を持つ全人的なものである。

 脳損傷Brain Injuryは、交通事故や脳卒中等の後遺症による器質性の問題で、主に前頭葉の認知機能不全のことをさす。Rusk脳損傷通院プログラムは「環境を適正に構造化できれば、患者は状況に応じた能力が発揮できる」というGoldstein博士の理念を基盤としている。リハビリ医療は身体的な機能回復ばかりでなく認知機能の回復訓練として、脳損傷者に「安全な実験室」(=訓練の場)を提供し、自己の欠損について理解させ、患者自身が欠損の補填戦略を使ってできるだけスムーズな日常生活を送れるよう実践的に導くことを、訓練の目的としている。

 Ruskでは患者を「訓練生」と呼ぶ。医師から処方された薬をもらう受動的な患者ではなく、訓練を受けて日常で機能するための様々な技術を習得し、自らが人生を切り開く主体的な意識を持たせるためである。Ruskの療法的環境は、訓練生とスタッフを中心に、訓練を修了したピアカウンセラー、そして家族(または重要な知人)で成り立つ。この4者が互いに関係し合いコミュニティを形作り、訓練後の社会を想定した様々な場面に対応するための実験的な研究の場となる。

 訓練所の1週間は月曜日から木曜日まで、毎朝10時から午後3時まで決まったスケジュールで構成されている。Ⅰ.症状を確認する「オリエンテーション」、Ⅱ.人前でのコミュニケーションを学ぶ「対人セッション」、Ⅲ.オーダーメイドの認知訓練と気づきやロールプレイ・確認の技などのワークショップが行われる「認知訓練」、そして、Ⅳ.一日の終わりに質問に答え人の意見を聞く「交流セッション」の4つである。この他に、訓練生と家族にそれぞれ週1時間ずつ「個人カウンセリング」と「家族セッション」がある。そのどれもが、スタッフにとっては重要な情報源となり、また家族にとっては、症状の学びと、コーチングの技術の学びの時間となる。また、Ruskと日常生活をつなぐための学びが行われるのもこれらの時間である。訓練生と家族のそれぞれの問題に対する戦略と準備が、すべての訓練に有機的に組み込まれていることがRuskのプログラムの圧倒的にすごいところである。一日の訓練の流れを繰り返すことに深い意味を持たせ、1週間、1ヶ月、1サイクル・・・と、訓練の中身を最適化させながら変えていく。

 Ruskの訓練は「認知機能の神経心理ピラミッド」という図表を中心に行われる。ピラミッドの各層は9層あり、最下層から、1.「リハビリに自ら取り組む意欲」、2.「覚醒」「(注意)厳戒体勢」「心的エネルギー」、3.「発動性」・「制御」、4.「注意と集中」、5.「情報処理とコミュニケーション」、6.「記憶」、7.「遂行機能」・「論理的思考力」、8.「受容」、9.「自己同一性」と描かれている。2に問題が生じると【神経疲労】、3の発動性に問題が生じると【無気力症】、感情の制御の問題は【抑制困難症】の症状を引き起こす。例えば神経疲労を起こすと、下から7番目の遂行機能を使って何か高度な行動をしていても突然機能しなくなる、というようなことが起こる。認知機能の働き方がピラミッド型であるのは、下位の機能がきちんと働いていないと上位の機能はうまく働かない、そしてピラミッドの上に行くほど「気づき」や「理解」は進み、機能が下がればそれらは一気に下降するということを示している。下位の諸機能が基盤として働くためには、自らの症状に対して予防し戦略を使って行動する必要がある。Ruskでは症状のひとw)EUR「弔劼箸昼u桙ノ10以上の補填戦略があり、これを訓練生と家族は、理論的にも実践的にも学ぶ。Ruskでは関係する医学分野の他にも神経心理学や教育心理学などの理論的な裏付けのもと、すべての訓練や日常生活における訓練と連動させて、戦略の実践を習慣化するまで練習、習得させる。Ruskの訓練後に訓練生たちが社会の中で機能できるように全人的な視点から構造化された集中強化訓練である。

 脳損傷者は外から見て普通でも、その日常は記憶の障害や情報処理の問題などにより困難に満ちている。戦略を使うこと自体、記憶の問題で継続できないので、周囲の支援を得ながら機能できる環境を整える,というのが重要なポイントになる。そのため、家族がホームコーチとなり、Ruskでの訓練のように、ポイントを絞って一定期間のゴールなどを設定して、訓練の延長で生活を支援すれば、訓練生はかなりの能力を発揮できるようになる。コーチングはサンドイッチ効果(+?+)が大事で、改善してほしいことをうまくいっていることに挟み込んでコメントすると効果が高まる。また、ポジティブ・フィードバックが大切で、良いことをできるだけ具体的に指摘することが大切である。そのためには家族も症状の正しい知識や戦略の使い方を学ぶ必要がある。訓練所で家族がスタッフの仕事ぶりを学び、カウンセリングや家族セッションで症状や対応の教育を受けることは大いに意味がある。

 Rusk脳損傷者のリハビリ訓練から、私自身、前頭葉の機能の働き方や、コーチングの意味を学んだ。家族の学びは医療機関に頼りがちな患者の家族の意識をも変える。患者が「自分で自分を取り戻す」ことがどんな問題の時もリハビリの最終ゴールなのではないか。その力を身につけるために学ぶべきことは多いが、ひとたび基盤を身につけると、何かと応用がきき難局も乗り越える力が身につく。Ruskのプログラムの責任者だったベニーシャイ博士から、「粧子、すぐに一喜一憂せず、焦らず忍耐力を養いなさい。一歩一歩が大切」と教えられた。患者自身にも環境や周囲の人との新しい関係性への適応力・順応性が必要だが、家族も変化を受容する勇気が必要である。患者と家族の双方が、障害を得た新しい自分(相手)の幸せのために、自己を再構築して更なる人生を生きてゆきたいものである。

略歴

1981年 東京芸術大学音楽学部卒業
1984年 国際ロータリー財団奨学生として渡米
1988年 シカゴ大学大学院修了(芸術学修士号)
1991年 南カリフォルニア大学大学院修了(音楽芸術博士号)
2004-05年 NY大学医療センターRusk研究所にて脳損傷者の通院プログラムに参加
      治療体験記を『総合リハビリテーション』(2006)に連載。
2010年 『前頭葉機能不全その先の戦略』(立神粧子著;医学書院)
       現在:フェリス女学院大学音楽学部音楽芸術学科教授、音楽学部長

参加者から

●中枢神経が障害された場合の回復は可能だろうか?リハビリにいい方法はないのだろうか?くも膜下出血で数年間、表情も感情もなく,無反応で無気力だったところから、ニューヨークRusk研究所のプログラムで一年間訓練を受け回復した経験をお話頂いた。神経学的にどのような回復をたどったのか、興味深いところである。治療やリハビリを、病院・施設を主体に考えると見方(評価)が短期的になってしまう。病は一生もの、治療(訓練)も一生もののはず。家族と共に歩む治療の重要性を再認識。コーチングの技(sweet & short)、広く使えそうだ。(新潟市/眼科医/男性)

●立神先生(小澤さん)ご夫妻とは、2011年に安藤先生が開催した「高次脳機能と視覚の重複障害を考える」というシンポジウムでもお会いしておりました。しかし、それよりもずっと前の2002年にも小澤さんを拝見しています。私が以前に勤めていた神奈川リハビリテーション病院でのことです。残念ながら私の記憶が怪しいのですが、奥様のお話ではご主人があまりに反応がないので見えていないのではないかと眼科を受診したとのことでした。当時の私の患者さんの1/3は見えない人、1/3は歩けない人、そしての残りの1/3はわからない人でした。小澤さんはその中の3番目にあたる患者さんでした。前回もしっかりしたなあと思いましたが、今回はさらにそう思いました。リハ病院では入院3ヶ月、通院3年でたいてい他の施設に移るのが常のようです。しかし、高次脳機能障害の方は、小澤さんのように10年以上かけて少しずつ良くなっていく方も稀ではないようです。期限を切るのがリハの性と思う中で、継続的なリハの重要性を改めて実感しました。いつまでも繋いでいるとリハ病院がパンクしてしまうというのもまた事実でして、急性期を終えてすぐの方をできるだけ多く診察するためには、現状の仕組みもやむを得ないのかなとも思います。その点で、立神先生ご夫妻が体験したRusk研究所のご家族にコーチ役をしていただくという方式は、退院後、通院終了後もリハが継続され、病院業務も圧迫せずに済むという理想型だなと感じました。また、質問のときにも取り上げましたが、通院訓練中の患者さんを「訓練生」と呼んでその自主性を自覚させるというあたりが、日本のリハに不足している部分ではないかと思いました。もちろんリハの現場では、自主性を無視しているわけではありません。もっと患者さん自身やご家族にその自覚を促すことに力を入れるべきと思うのです。現在の医療においても「赤ひげ」の時代の医師患者関係を望む向きが医者側にも患者側にもあり、それがすべて悪いとは言いませんが、この時代に見られた患者の依存心は、少なくともリハという文脈の中では患者の自立を阻害する要因なのではないかと思うのです。この自主性は、障害者権利条約の中にもリハは「あくまで自発的なものであって」とあることにも通じ、今後のリハ全体を考える上でも最重要の概念なのではないかと思いました。そういう観点からして、話は少し飛びますが、今後の視覚リハの方向性を考えるとき、既存の当事者団体はもちろんのこと、そういう団体に属していない患者さん自身からの情報発信とそれができるインフラ整備が不可欠なのではないかと思います。(埼玉県/眼科医/男性)

●リハビリのプログラム、方法論が非常に大事で、日本でも早く確立して欲しいと思いました。立神先生の愛が非常に大きな役割を果たしたことは間違いありませんが、機能的・器質的にどのような変化が小沢さんの頭のなかで起こったのだろうと理系的な思いも浮かびました。(新潟市/眼科医/男性)

●普段お聞きできない分野で、貴重な体験でした。日本で、なぜこのようなプログラムができていないのか、日本の医療の中のリハビリの地位の低さ、効率の悪さを考えさせられました。(大阪市/眼科医/女性)

●バイリンガルでいらしたり、プロになられるまでの楽器の反復練習を継続されているという能力あるいは習慣をお持ちということで、リハビリのスタート時点から、とてもレベルが高くいらしたのだろうなと思いました。(新潟市/眼科医/女性)

●立神先生のご著手は、購入していました。ご夫妻の葛藤は、凄まじいものが有ったと思います。私自身も一時は「高次脳機能障害」の疑いをもたれ家内との間で凄い葛藤がありました。「NY行く前に…高次脳機能障害の症状」此れ未だに全て当てはまります。他人事ではなく、私と家内の両方が「鬱状態」となり…ました。毎年此の時期
になると、病院から退院(脱出?)の日を思い出しています。主治医に勧められた「チャリ」此れも自身では、リハビリの一環としています。「病は一生もの、治療(訓練)も一生もののはずですから」中々出来る事ではありませんが、私たち夫婦も可能な限り頑張ってみます。(新潟市/会社員/男性)

●ー人を愛することって素晴らしい事ですね.(新潟県/眼科医/女性)

●Rusk訓練は説得力抜群、ただ、事前に、どこまで回復可能かを予測した科学的方法論を知りたくおもいました。(新潟市/眼科医/男性)

●ベースにご夫婦の愛があって、ご主人を、尊重してやっていらっしゃったからいい結果につながったのだと感じました。(新潟市/神経内科医/女性)

●高次脳機能のリハビリのお話も、感激と共に脱帽ですね。これほどに完璧に取り組み、成果を挙げていることは、私たちは是非学び、新潟でもシステムを組み、実行する必要性を感じました。(新潟市/内科医/男性)

●無気力症の方のリハビリは本当に難しいのですが、ご主人は新しいステージに進もうとされているのかなと思いました。原則的に進行性ではないという高次脳機能障害の障害特性から、立神先生のように対応すれば「今が最低、上向き人生」にできるのではないかと思います。私たち素人の指導員はそれを信じて関わっていきたいです。勇気を頂きました。ありがとうございました。(京都市/生活訓練指導士/男性)

●本来なら人生に挫折してしまいそうな境遇、場面を先生とご主人の地道な治療の継続と努力 そしてお互いを思いやる気持ちがあってこそのリハビリの姿に感動いたしました。(新潟市/薬品メーカー/男性)

●私自身、この業界に身を置く以前、認知症介護施設で勤務していた事もあり、その当時の記憶も相まって、心に響くご講演でした。正直、高次脳機能障害の方があそこまで回復している姿は大変驚きで、その裏では、エビデンスとロジックに基づいたとても大変なリハビリがあり、その賜物であるという事がよくわかりました。 ラスクのリハビリ法も、患者様によって症状が異なる為 それに合わせたリハビリを行う必要を説いてらっしゃいましたが、 患者様のリハビリと同等以上に、ご家族の訓練が重要な事もよく理解できました。 まさにその答えが小澤氏その物かと思いますので、とても中身の濃いご講演でした。(新潟市/薬品メーカー/男性)

iPS細胞による眼疾患治療の現状と未来

報告:『済生会新潟第二病院眼科公開講座 治療とリハビリ』 高橋政代(理研)

 眼の愛護デー(10月10日)に、8都府県から眼科医・内科医・神経内科医・リハビリ医・麻酔医やリハビリ関係者・教育者・当事者等々、約60名が参加し、済生会新潟第二病院10階会議室で公開講座「治療とリハビリ」を行いました。
 今回、高橋政代先生(理化学研究所CDB)の講演要約を参加者の感想と共に紹介します。

特別講演2:「iPS細胞による眼疾患治療の現状と未来」

講師:高橋政代(理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)
http://andonoburo.net/on/4133

講演要約

 2013年8月に初めてのiPS細胞を用いた移植臨床研究が承認を得て、1例目の手術は2014年9月に施行された。2006年にマウスiPS細胞、2007年にヒトiPS細胞が発明されてから驚くほど短期間での臨床応用と言われる。しかし、今回の臨床研究の準備はすでに10年以上前からES細胞を用いて、網膜細胞治療という構想からいうと20年前からスタートしていた。基礎研究からヒトに応用するまでにはやはりそれだけの年月が必要である。研究を進めている期間に様々な否定的意見を聞いたが、網膜細胞治療の最終像を考えるとそれらは論理的に心動かされ方針を変更させるものではなかった。

 我々のラボにフィールドワーク(!)に来て研究者という人種を研究している人類学者に言わせると、高橋は過去、現在、未来の順で考える思考と異なり、未来像から遡って現在を考えるという思考法だそうだ。再生医療ができることが自明のように語る私と他の人と話が合わないのがなぜかずっと不思議であったが、とんと合点がいったような気がする。

 今回の臨床研究では自家iPS細胞由来網膜色素上皮(RPE)細胞シートを移植し手術後1年間で結果を判定する。移植する細胞シートは様々な品質検査や免疫不全マウスを用いて繰り返し行った造腫瘍性試験で安全性が確認された。現在手術後1年の判定期間が終了したが、主要評価項目の安全性については、拒絶反応、腫瘍化、手術による重篤な合併症などを認めず順調に経過している。世界ではiPS細胞を使った治療は主要ができるのではないか、自分の細胞を使う自家移植であっても培養の期間に変化がおきて拒絶反応がおこるのではないか、などの懸念を持つ研究者がほとんどであるが、1例ではあるが、それが杞憂であることを示した。絶対に失敗できないプロジェクトであったので、リスクは考え尽くしてあり、1例目は視力の経過や患者の反応まで含めて予想通りであった。2例目3例目も同様であると考える。

 再生医療の問題の一つはその言葉からもたらされる過剰な期待である。再生医療(細胞移植治療)はまったく新しい治療であり最初は効果も小さい。治療の効果と安全性の進歩のシグモイド曲線は白内障手術などで眼科医は経験ずみである。再生医療も同様で、改良を重ねて徐々に効果的な治療となることが考えられるが、それらの正しい情報はなかなか一般に伝わりにくい。今回の臨床研究では網膜感度上昇などの効果判定は副次項目であるが、過剰な期待は治癒が唯一の問題解決法であるという思い込みから来ることが多い。特に網膜の場合は成功してもまだまだ視機能は低く停まることが考えられ、再生医療はリハビリテーション(ロービジョンケア)とセットで完成すると言える。再生医療は網膜以外でも同じでリハビリテーションとセットであること認知されてきている。今後は、臨床研究、先進医療、治験、治療、リハビリ、患者ケアが一体となったメディカルセンターが求められる。

 我々は、神戸にそれらを包括したアイセンターを構築しようと計画している。アイセンターは先端医療センターの眼科専門病院、理研の研究部門、ロービジョンケアと社会実験のための公益社団法人NEXT VISIONの3者が協力して運営する。再生医療の高い認知度を利用して、視覚障害に対する一般社会の理解を高めることができることが可能かもしれない。そのために作ったNEXT VISIONでは、ロービジョンケアや視覚障害のイメージ変革と推進、デバイスの開発や社会実験を行う。日本で歴史も古く充実している全盲者に対するケアとは異なり、眼科医が日々接するのにケアが抜け落ちている軽度の視覚障害、就労を続けられるのに諦めてしまう人々を主に対象にして、企業、産業医、眼科医、しいては支援施設、当事者においても視覚障害に対するイメージを変革することが必要であり、可能かもしれないと考えている。

略歴

1986    京都大学医学部卒業
1986-1987 京都大学医学部附属病院眼科 研修医
1987-1988 関西電力病院眼科 研修医
1992    京都大学大学院医学研究科博士課程(視覚病態学)修了
1992-1994 京都大学医学部附属病院眼科 助手
1995-1996 アメリカ・サンディエゴ ソーク研究所研究員
1997-2001 京都大学医学部附属病院眼科 助手
2001-2006 京都大学医学部附属病院探索医療センター開発部 助教授
2006-2012 理化学研究所  発生・再生科学総合研究センター
   網膜再生医療研究チーム チームリーダー兼任(2006年10月より専任)
2012-2014 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
   網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー(*)
2014-現在 理化学研究所 多細胞システム形成研究センター
   網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー(*)
      (*)組織改正により変更

参加者から

●iPS細胞を移植する再生医療が、世界で初めてわが国で臨床治験された。最初の臨床治験が行われてから1年の臨床経過を示してもらった。今後は、F1カー(個別のiPS細胞)ばかりでなく、カローラ(iPS細胞バンク)も用意するという。治療選択肢が増えるのはいい進歩。診療・研究・リハビリを兼ねた「アイセンター」構想が、より具体化している。企業の方も参加し戦略として進めているという。もはや医学医療を飛び越えたスケールのでかいお話でした。現在の閉塞した医療の現実を考える時、新しい医療の形を示す「アイセンター」構想の実現を願います。(新潟市/眼科医/男性)

●いつ拝聴しても凄いとしか言い様がありません。本当の意味での【アイセンター】が実現すれば素晴らしいと考えています。其の為には、行政を逆手に取っておられると感じました。講演後に某名誉教授曰く、「色々な女傑を見てきたが、彼女が一番だね」。(新潟市/医療機器販売/男性)

●iPSの現状と将来への展望がわかり興味深かったです。(新潟市/眼科医/男性)

●とても興味深いものでした。 たまたま、前はやぶさプロジェクトマネージャーの川口という人の話をみかけたのですが、彼はプロジェクトで大切なのは、100点を目指さないこと、60点を100%の確率で実現することと語っています。また、心配していたことがおきてしまうのは、3流、予想もしていなかったことが起きてしまうのは二流、一流とは、何もおきないことといいます。高橋先生が治療に使われたもののサイズがそのままだったようにお聞きしたことが、この何もおきないことなのかと思いました。川口氏は、研究ではなくプロジェクトをやる、プロジェクトを進める上では、技術よりむしろ根性が大きな要素と言ってます。全くの雑談ですみません。大きな仕事をやられる方は、有能なプロデューサーなんだなあとたまたま同時期に感銘をうけたものですから。川口氏は、(安藤先生と同じ)青森県出身なのですね。(新潟市/眼科医/女性)

●視野の広さ、考えを行動に移すその速さバイタリティーに感服し、私の残された時間の中で、1症例を思い出して、なんとか助けてあげたい事をご相談し先端医療センター眼科の受診方法を教えていただきました。一人でも失明から救いたい想いの、今の私に有り難い貴重な時間でした。(新潟県/眼科医/女性)

●iPS細胞による治療法の前途について、大変分かりやすいものでした。講演の初めに、理研の研修生の一人の方が、チンパンジーの行動の研究をするようにスタッフの行動を観察し、それによると高橋先生が将来の理想形から物事を考える珍しいタイプであると言われた。しかしこれは企業的な発想では当たり前のこと、とおっしゃったことが印象深いものでした。最も刺激的だったことは、高橋先生のプロジェクトが二重にも三重にも多様な道を用意しておられることです。すべてが同じ方向を向いているが、多様なニーズに合わせて多様な選択肢を作っておられることは万全の準備が見通せていてリーダーとして素晴らしい発想と思いました。また、シートを入れる治療法と浮遊性の治療と、どんどん新しい治療が進んでいることを教えていただきました。ロービジョンのリハビリや就労についての展望も、患者さんの未来にとってより積極的な社会参加を促すだけでなく、社会にとっても人的財産の貴重な損失を免れることになり、大きな前進と思います。(神奈川県/音楽家/女性)

●この公開講座は設定がよく、学ぶところ多い。高橋政代氏の科学者としての計画性、実行性、将来性、すべてすばらしく、りっぱなもの。貴重な存在なるも、一般に期待されているのは病気をなおすことだけで、リハビリに深く思いを致していることが全然社会にはわかっていない。卑近なはなしですが、10月10日は目の愛護デーなのに、体育の日にすりかえられて、だれも目の愛護デーなど知らないのが現実。なさけないことだね。 Eye cennter構想が広く実現するには困難がおおいことと痛感。(新潟市/眼科医/男性)

●どんどん進化しているんですね。研究ばかりやっていらっしゃるのかと思ったら、ちゃんと患者さんもみて、患者さんの困っていることをちゃんと把握して、対策を考えていらっしゃって、すごいと思いました。(新潟市/神経内科医/女性)

●iPS細胞での治療もいろんな事を考えて慎重に進んでいることが分かり、頼もしくも思えたのですが、歯がゆくも思いました。そして、リハビリ、支援を考えて、トータルに医療をなしてゆく姿勢に、敬服です。(新潟市/内科医/男性)

●患者さんを中心とした眼科医療のありかたをトータルで考えられて研究されているというお話には感銘を受けました。(新潟県/眼科医/男性)

●講演後半に 公益財団法人 NEXT VISION のお話をされました。法人の存在は初耳だったので、さっそくネットで調べました。アイセンター構想は新鮮で、ワンストップ型の理想形ですが、事業化できればすばらしいと感じました。(新潟市/病院職員/男性)

●今や時の人である先生のご講演も最先端の医療を分かりやすく、お話いただきました。理想の目標をあらかじめ設定して、そこに様々な紆余曲折アプローチを繰り返し、最終的にゴールに到着する事に尊敬致しました。(新潟市/薬品メーカー社員/男性)

●まさに今最先端の再生医療の話と、さまざまな活動、またその裏側の研究の現状や高橋先生の実際の思いなど、テレビやマスコミなどでは伝わらない内容を直に拝聴できました。 特に、アイセンターの話は、眼科医、研究者というご側面もありながら、ロービジョンケア全体を大局的に見た長期ビジョンをお持ちで、それを展開してく熱い思いが伝わってくる非常に感慨深いご講演でした。(新潟市/薬品メーカー社員/男性)

●自分も眼科メーカーの社員ということもあり、高橋先生の講演がとても印象に残りました。ES細胞、iPS細胞の違いという初歩的な内容から、なぜRPEを再生させ、1件目の手術としたかなど学ばせていただきました。また、普段は、どうしても臨床データ、基礎データに触れることが多い環境なので、基礎~ビジネスまでの流れをご紹介いただいたことに改めて製品の上市の難しさを実感できました。再生医療の場合は、さらに遺伝子学関係者、倫理関係者等が加わり、その難しさは想像できませんでした。大きな脚光を浴び、順風満帆な分野という印象しかなかったので、驚きました。(東京/医療機器メーカー/男性)

●私はiPS細胞の臨床応用が2例目でなぜ中止になったのか、どういう部分で疑問を持たれたのか、そこが知りたかったし一番興味があったところです。テクニカルなことよりも行政との関係であるようなお話でしたが、私の事前勉強が足りないせいで、あまりよく理解できませんでした。それでもiPS細胞由来のRPE細胞移植はがん化も含めて、やはり臨床応用できる安全レベルであること、さらに企業が参入して移植用の細胞を製造するコストまでを含めた実用化が進行していることなど、最先端で指揮している先生から直接お話を聴くことができて感謝しています。私は高橋先生のお話を聴くのは二回目ですが、前回と高橋先生の印象はずいぶん違いました。前回は世界を相手の学者といった感じで近寄りがたい雰囲気でしたが、今回は女性らしいやわらかさを感じました。それは、神戸医療産業都市アイセンター構想という、スマートサイトを集約するような、とてつもなく大きくて、やさしくて、あたたかいシステムのお話を聴いたせいかも知れません。ぜひ実現させてほしいし、そのための協力なら惜しみません。まぁ、私が協力できることなど無いでしょうが(笑)(新潟県/自営業/男性)

加齢黄斑変性治療の現状と課題

報告:『済生会新潟第二病院眼科公開講座:治療とリハビリ』五味文(住友病院)

 眼の愛護デー(10月10日)に、8都府県から眼科医・内科医・神経内科医・リハビリ医・麻酔医やリハビリ関係者・教育者・当事者等々、約60名が参加し、済生会新潟第二病院10階会議室で公開講座「治療とリハビリ」を行いました。
 今後、公開講座での講演要約と参加者からの感想を順次報告します。今回、五味文(住友病院)先生の講演要約をご紹介します。

特別講演1:「加齢黄斑変性治療の現状と課題」
講師:五味 文(住友病院)
http://andonoburo.net/on/4113

講演要約

 加齢黄斑変性といえば、以前は眼科医が手出しできない疾患であった。放っておくと視力が低下するのは明らかであるが、黄斑部網膜のその裏の病変に対して、正常組織を障害せずにアプローチをする方法はほぼ皆無で、たとえ網膜下の脈絡膜新生血管の抜去ができたとしても、長い目見ると色素上皮の萎縮は拡大し視力は低下してしまう。画期的かつ挑戦的な手術である黄斑移動術をもってしても、萎縮や網膜の回旋から来る不具合は、無視できるものではなかった。

 このような加齢黄斑変性に対して、画期的な薬剤がここ10年ほどの間に相次いで上梓されている。光線力学療法の際に用いる光感受性物質ビスダイン、抗VEGF薬であるマクジェン、ルセンティス、アイリーアなどである。診断機器、特に光干渉断層計(OCT)の進歩と相まって、抗VEGF薬の効果は広く認知されることとなり、急速に普
及した。繰り返し硝子体内に薬剤を注射で入れなければならないというハードルはあるものの、滲出性変化の減少と視力の向上といった薬剤の効果は絶大で、医師も患者も継続治療を受け入れている。

 その効果の陰で、病態の本質を見ずに漫然と治療を続けるという事態も起こっているような気がする。ノンレスポンダーやタキフィラキシーといった、薬の効果そのものがみられない状況であっても投与が続けられている場合は少なくない。そもそも抗VEGF薬では、どれだけ治療を続けたとしても、病気の本体である脈絡膜新生血管を消退させられていないことにもっと目を向けるべきであろう。

 一臨床医の抵抗として私が取り組んでいることは、一律なプロトコールで治療にあたるのではなく、個々の患者に踏み込んだ個別化医療である。造影やOCTといった検査所見から、抗VEGF療法一辺倒ではなく、それぞれの病態にもっとも有効と思われる治療方針を提案するとともに、治療後の所見の変化や、それぞれの患者の治療へのモチベーション、通院状況などを考慮に入れて、その先の治療プランも臨機応変に変えていくようにしている。特に、欧米人よりもアジア人においてより高い有用性が知ら
れている光線力学療法については、その有効性を積極的に取り入れていこうと、臨床研究を行っては情報発信を続けてきた。 欧米発の大規模臨床研究によって得られたEBMに配慮することはもちろん大事だが、従来からの日本の医療の流れである、医師の観察や経験を活かした医療というものもうまく組み込むべきだと考えている。

 このような治療方針が独りよがりのものとならないよう、患者側からのフィードバックは貴重である。継続して治療を受けている患者を対象としてアンケートを行ったところ、自身で抗VEGF療法の有効性を実感できている患者は約60%、自分では自覚はないものの医師から効果ありと言われ治療を続けているケースは30%であった。追加治療は、医師から受けた方がよいと言われたときのみ受けたいという回答が70%以上あり、再発を防ぐためには何度でも注射を受けたいという20%の患者を大きく上回った。注射の怖さ以外に、やはり治療が高額であることも、注射を避けたい要因となっていた。いつまで治療を続けないといけないのか、これから先も日常生活に支障なく見えるのかという不安を訴えるコメントも散見された。以上の結果から、多くの患者は現状の治療を受け入れ、結果には概ね満足されているものの、これから先も続く治療への不安は少なくなく、新たな治療への希望も少なくないことがわかった。

 そのような不安を取り除くことが、現状の加齢黄斑変性治療の課題であろう。ロービジョン指導や患者同士の意見交換の場の設定、社会制度への働きかけなど、医療者ができることは少なくなさそうである。個々の患者に適した、治療以外の手段も提案できるよう模索していきたい。

略歴

1989年 大阪大学医学部卒業
     大阪大学眼科入局
1990年 大阪労災病院眼科
1997年 大阪大学大学院入学
2001年 同上終了、大阪大学眼科助手
2006年 大阪大学眼科講師
2012年 住友病院眼科部長
2015年 大阪大学眼科招へい教授兼任
現在に至る

参加者から

●加齢黄斑変性はこれまで失明する疾患の代表例だった。現在では抗VEGF療法が登場し、多くの患者が良好な視機能を保てるようになってきた。その治療の実際を示し、治療費がかかること、すべての患者がよい視機能を保てるわけではないことに触れ、抗VEGF療法の有用性と限界を語って頂いた。特に、患者さんへのアンケート、大変興味深かった。治療について、医者からの評価ばかりでなく、患者さんからの評価も必要な時代になってきていると感じた。(新潟市/眼科医/男性)

●非常に判りやすく医療関係者でなくとも理解できたと思います。個人的に、此の治療は、患者の金銭的な負担が大きくてドロップアウトしているのが現状と考えています。友人も治療をしていますが、【治療を続ければある程度の視力は維持できるけど、金が続かない…】恐らくこれが本音だと思います。患者さんからのアンケートは、どの医療機関でも必要かと思います。(新潟市/医療機器販売/男性)

●実際の治療に役立つもので大変ためになりました。(新潟市/眼科医/男性)

●専門外の私にも納得できてAMDの患者さんにも色々説明してあげられるとおもいました.注射だけだと何時までやらなければならないかと常に聞かれますのでCASE by
 CASEいろいろの場合がありこんな方法もありと一緒に考えてあげることも一つのリハビリかなと考えさせられました。(新潟県/眼科医/女性)

●これほどきめ細かく治療をしていけば、視力をかなりたもっていけるのか、と医学は進歩しているんだな、と、素晴らしいと思いました。(新潟市/神経内科医/女性)

●加齢黄斑変性症の治療が進んでいることを嬉しく思いました。(新潟市/内科医/男性)

●お話は分かりやすく勉強になりました。脈絡膜新生血管は、必然性のある困りものだということが印象に残りました。ドルーゼンの根治を早期に望みます。(新潟市/病院職員/男性)

●永年にわたってのAMD治療のご経験、治療の最前線患者さんとのコミュニケーション、治療に対する満足度アンケートが大変勉強になりました。(新潟市/薬品メーカー/男性)

●基本的に患者様目線にたった、非常にわかりやすい表現を意識されていらっしゃり、色素上皮の病変の話や、多数の硝子体注をバリバリされているからこそ言えるメリットデメリットの話など、メーカー紐付きの講演会では聞けないような話も含め、大変勉強になりました。(新潟市/薬品メーカー/男性)

●五味先生に対して私がした質問は、治療とリハビリというテーマであるのに、ど素人が突拍子もない質問をして時間を潰し申し訳なく思っていますが、完治が望めない病気なら予防したいのが人情です。五味先生のご回答は医師としては模範的なものであったと思います。(でも、患者受けはしないかなぁ)

第5回 肝臓病セミナー開催報告

seminer05-01

平成27年11月7日(土)に「第5回 肝臓病セミナー」がユニゾンプラザで開催されました。「肝臓がんにならないために 〜今、知ってほしい最新の肝臓治療〜 」をテーマに、医師・薬剤師・栄養士・看護師の講義が行われ、161名の方々に参加して頂きました。元々は、病院内で年3回肝臓病教室を開催していたのですが、一般の方にも気軽に参加して頂けるように、また、肝臓病について多くの人に知ってもらいたいという思いから、1年に1回院外企画として、ユニゾンプラザで肝臓病セミナーを開催しています。同時に、同一会場で肝炎の無料検査を新潟県主催で行っています。セミナー開始前に採血をして頂けると、セミナー終了までに結果を聞くことができます。肝臓がんの主要な原因は、肝炎ウイルスの持続感染です。肝臓は沈黙の臓器と呼ばれ、初期には自覚症状がほとんどありません。肝臓がんにならないために、まず自分が肝炎ウイルスに感染していないか調べていくことが大切です。
次回は、3月26日(土)当院で肝炎、肝硬変をテーマに肝臓病教室が行われる予定です。どなたでも参加できますので、興味のある方の参加お待ちしています。

(肝臓病教室運営メンバー一同)

臨床からの学び・発展・創造・実現

報告:第237回(15-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会 郷家和子

演題:「臨床からの学び・発展・創造・実現」
講師:郷家和子(帝京大学)
日時:平成27年10月14日(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
http://andonoburo.net/on/4157

講演要約

1.視覚欠陥学講座との出逢い
 学部3年生からの専門課程には教育哲学・行政学・社会学・心理学の4学科があり、その中の心理学科心身欠陥学視覚欠陥学講座を選択した。その理由は、1963年作家の水上勉氏が重複障害児への療育サービスを求めた「拝啓池田総理大臣殿」という公開状(中央公論6月号)や島田療育園を見学した兄の話からの影響、さらに進路選択での視覚欠陥学講座の小柳恭治助教授の助言等であった。

2.東北大学教授時代の原田政美先生
 原田先生は、1965年に東京大学医学部附属病院から視覚欠陥学講座の教授として赴任された。赴任以前から眼科のリハビリテーションに関心を示され、すでに弱視レンズの開発・普及に取り組まれていたし、大学においても小柳助教授とともに東北大式盲人用レーズライタを考案された(1967年東北大学教育学部研究年報:「盲人用レーズライタの試作とその性能に関する実験」)。
 先生からは眼科に関する医学的な基礎知識や種々の検査技術、アメリカでの晴眼児と視覚障害児の統合教育についての演習、宮城県内の視覚障害者判定業務である巡回相談に同行し現場での診療や相談のあり方に関する臨床学習も体験させていただいた。先生は常に物事を考える際に「Neues(新しいこと) は何か。」、また「それは視覚障害者・児に役立つ実践的な有効な方法および補助具になり得るのか。」を検証
するよう求められた。なお、先生は大学を3年勤められた後、美濃部都政2年目の1968年に民政局技監として心身障害者福祉センターの初代所長職に就かれ、リハビリテーションの分野に身を置かれることになった。

3.東京都心身障害者福祉センターの職務内容
当時センターは1)障害者更生相談所業務、2)リハビリテーション業務、3)地域支援業務、4)開発業務等を職務とする全国でも最先端の施設であった。開発業務で生まれたロービジョン者向けの視覚補助具には、拡大読書器と遮光眼鏡がある。拡大読書器は1971年に視覚障害科科長村中義夫氏と株式会社ミカミとの共同開発により製品化され、1993年に日常生活用具に指定された。遮光眼鏡は1989年にレンズメーカー・ホヤと共同開発し、1992年に補装具として認定された。

4.センターでの訓練・支援業務
私が係わった訓練および支援業務で特に印象深い8事業を年代順に紹介したい。
1)視覚障害者電話交換手養成訓練(1971年)
視覚障害女性の経済的自立を目的とした職業訓練の電話交換手養成に携わるために1ヶ月間電話交換手養成機関で学び資格を取得した後、センターの電話交換機保守点検担当電話局から交換機2機の寄贈を受け訓練環境を整備した。視覚障害者の着信ランプ確認速度を高めるために感光器(ライトプルーブ)をセンター内併設財団法人心身障害者職能開発センターとの協力により開発した。電話交換手は当時視覚障害者の新職業として関心がもたれ、訓練を受けるために都内に住所を移動する方々が少なくなかった。1960年に身体障害者雇用促進法は制定されていたが、弱視者の就職に比して全盲者は困難であった。この養成訓練は一定の成果を得たことにより、開始2年後に上記の併設心身障害者職能開発センターに業務移管され、視覚障害科での養成訓練事業は終了した。

2)盲人用読書器オプタコンによる指導(1974年)
オプタコンは1971年にアメリカで開発され、1974年に日本に導入された。この器機は紙面上の文字を小型カメラで捉え、その文字の形を人差し指の指先位の大きさの触知盤に表示されるピンの振動パターンに変換して呈示するもので、視覚障害者が普通の文字をそのまま読めるという画期的な器械であった。文字ではなく世界初の楽譜読みの指導法を開発したことは、私にとって大きな誇りとなっている。オプタコンは視覚障害者の職域拡大や中途失明者の現職継続を可能にし、かつ現在でも種々の場面で使用され続けているものの、技術の進歩により音声パソコン使用へと大きく変遷した。

3)視覚障害者の司法試験受験時間延長への支援(1978年)
司法試験管理委員会宛に強度の弱視者2名の受験に際して拡大読書器・弱視眼鏡の持ち込みと受験時間延長の必要性について、実証研究の結果を受験者の要望書に添えて提出した。2名は補助具の持ち込み及び試験時間の1.5倍延長が認められた。これ以降、大学入試や公務員試験等でも補助具持ち込みの弱視者に対する試験時間延長が一般化し、試験の延長時間は全盲1.5倍、弱視1.33倍とされた。

4)網膜色素変性症者支援(1988年)
センター来所の網膜色素変性症者への精神的な支援が必要との判断から、障害福祉サービスの情報提供とグループ別懇談をセットにした懇談会を9年間毎年3回実施した。より充実した懇談会発展のために10回のピアカウンセラー養成講習会を開催し、個別支援援助の手法学習会も設定した。事業終了後は、センター方式のピア懇談会や種々の自助グループ設立へと継続され、活動を続けている。

5)「視覚障害理解」の出前講習会(1995年)
講習会は3年間にわたって、希望病院の医療従事者を対象に業務終了後出張して実施した。身体障害者手帳取得後の福祉サービス、病院内誘導法、視覚補助具やADL関係の便利グッズの紹介等を行った。看護師が失明した入院患者さんに持参した用具を試用し、見えなくてもできることがあると新たな生活の再構築を目指す生活訓練施設入所まで発展した事例もあった。

6)指定医講習会開催(2003年)
指定医に補装具取り扱い改正等に関する情報提供の必要性があると考え、指定医を対象とした定期的な講習会開催を提案した。以来センター主催で身体障害者指定医講習会が毎年実施され、併せて身体障害者手帳診断書作成の手引き書が指定医に配布されることとなった。

7)補装具遮光眼鏡給付対象者の要件改正(2010年)
補装具遮光眼鏡の適用範囲は、1991年網膜色素変性症に限定、2005年に網膜色素変性、白子症、先天無虹彩、錐体杆体ジストロフィーに拡大されたが、遮光眼鏡が他の眼疾患にも効用ありとの論文が多数発表された。2006年に日本ロービジョン学会内に岡山大学守本典子眼科医と大阪医科大学眼科中村桂子視能訓練士と私の三人で補装具遮光眼鏡検討委員会を立ち上げ疾患名廃止への検討を重ね、その後厚生労働省に補装具遮光眼鏡検討委員会7名の名で4疾患以外への適用要望書を提出した。厚生労働省との膨大な量の交信を3年余行い、2010年3月31日に厚生労働省から疾患名の廃止という一部改正の通知が発出された。

8)教材・教具・指導書等刊行物
所属部署では視覚障害児者のさまざまな指導訓練に関する専門技術の確立と体系化の成果を技術書として刊行した。福祉保健局長賞受賞刊行物には、1991年「弱視レンズの選択と指導」、1994年「ガイドヘルパーの技術書」、2005年「身体障害者福祉法・知的障害者福祉法実務手引き書」がある。

5.まとめ
私は原田先生ご在職中のセンター、まさにリハビリテーション業務の最盛期に在職したことで、利用者の方々から多くを学び同僚と議論しあいスーパーバイザーから指導を受け、常に新しいことに挑戦し続けられたという幸運に恵まれた。臨床で提示された課題から解決に向けてこれまでにはなかった発想から指導法を考案し実現できたときには、役に立てたという安堵感とともに次の仕事への活力を得ることができた。
本年ノーベル医学・生理学賞を受賞された大村智(さとし)氏が「研究は研究のためにやるのではなくて、人に役立つ、人のための研究をすることが大事」と言われたが、まさに原田先生からの教えを聞く思いであった。
現在視能訓練士を目指す学生たちの教育に携わっているが、患者さん一人ひとりのために何をすべきかを考え実践できる精神を持ち続けられる学生を育成するためにも、私自身もさらに研鑽・努力していきたい。

略歴

1971年 東北大学大学院教育学研究科修士課程修了
1971年 東京都入都(心身障害者福祉センター)
1973年 ドイツ Bethel(重度障害者施設)研修
2004年 東京都身体障害者福祉司
2009年 帝京大学医療技術学部視能矯正学科講師
2013年 日本ロービジョン学会理事
2014年 帝京大学医療技術学部視能矯正学科非常勤講師
現在にいたる。

後記

 素晴らしい講演でした。今回郷家先生に講演を依頼したのには目的がありました。
 東北大学教育学部に存在した「視覚欠陥学講座」は、日本で一番最初にできた視覚リハビリテーションを研究する講座です。その初代教授の原田政美先生は、東大眼科の萩原朗教授門下で斜視弱視を研究していた眼科医。萩原教授の退官と共に、東北大学教育学部の教授に就任しています。そこで行ったことは、視覚障害者のためのリハビリテーション。私が知る限り、我が国の国立大学でこの分野では草分けです。神経眼科で有名な桑島 治三郎先生も東北大学教育学部視覚欠陥学講座の教授です。一流の眼科医が視覚リハビリの研究をしていたことに感嘆しました。
 今、原田政美先生を知る人は少なくなりました。そこで東北大学での愛弟子であり、東京都心身障害者センターでも一緒に仕事をなされた郷家先生に、原田政美先生、東北大学教育学部視覚欠陥学講座のことをお話し下さるようにお願いしました。
 郷家先生は、このような無理なお願いにもかかわらず、丁寧に欠陥学講座のこと、原田先生のことをお話しして下さり、そしてご自身が関わってきた視覚障害リハビリのお仕事をお話しして下さいました。実は、この部分がとても魅力的でした。
 アッという間の50分でした。常に患者さんの一人一人のためを思い続けて研究してきたこと、新しいものを求め続けたこと、大いにインスパイア―されました。
 郷家和子先生の益々のご発展を祈念致します。

フィンゲルの仲間と取り組んだ出前授業

案内:第238回(15‐12月)済生会新潟第二病院眼科勉強会 田中正四

演題:「フィンゲルの仲間と取り組んだ出前授業~工夫を重ねて子供たちの心をキャッチ~」
講師:田中正四 (胎内市)
日時:平成27年12月02日(水)16:30 ~ 18:00 
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  
http://andonoburo.net/on/4152

抄録

 2010年の夏。盲導犬(グティ号)を貸与された私は、数年前から取り組んでいた学校への総合学習での心構えも従来の体験型説明から盲導犬の啓発啓蒙活動へと大きく話の内容も変わってきた。

 私達の通う(新発田音声パソコン フィンゲル)では出前授業と称して総合学習に精に力的に取り組んでいるが、従来は、ボランティアの皆さんの協力と計画の基に障害と生活の様子の説明が中心とする出前授業への取組であった。しかし、フィンゲルのスタッフ減少に伴い、障碍者自身による計画立案から授業進行、各人の講話概要までの授業全体スケジュールを私達がになう事となった。

 フィンゲルは、毎週月曜日の開催であり、透析患者の私にも時間が確保できる事からせめてもの社会貢献のつもりで、精力的に取り組んできた。出前授業の依頼を受けた時点からフィンゲルのリーダーを中心に計画を立案し、各人の担当を決定し、時間配分までのスケジュールを決めて授業に取り組む事となったのである。

 今回は、フィンゲルの仲間と取り組んだ出前授業における工夫の数々と子供たちと心を通わせたエピソードを失敗談を交えてお話したい。さらに、会社務め時代で学び得た手法を生かす事ができた事も忘れかけていた会社員生活を思い出し、無駄ではなかったと喜びさえ感じている。その中でも、(計画、実行、確認、改善)のサイクルを繰り返す重要性についてもお話しさせていただきたい。

略歴

1952年 長岡市(旧越路町(生まれ
1968年 日立制作所入所
2003年 腎不全により透析開始
2007年 視覚障害1級
2007年 日立製作所退社
2010年 盲導犬貸与される

ネット配信

 今回の勉強会の一部は、「新潟大学工学部渡辺研究室」と「新潟市障がい者ITサポートセンター」のご協力によりネット配信致します。以下のURLにアクセスして下さい。
http://www.ustream.tv/channel/niigata-saiseikai
 当日の視聴のみ可能です。当方では録画はしておりません。録画することは禁じておりませんが、個人的な使用のみにお願いします。

眼を見つめて50年

報告:第235回(15-10)済生会新潟第二病院眼科勉強会 藤井 青

【目の愛護デー記念講演会 2015】
「眼を見つめて50年ー素晴らしい眼科学の進歩と医療現場における問題を顧みる」
講師:藤井 青(ふじい眼科)
日時:平成27年10月14日(水)16:30 ~ 18:00 
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
http://andonoburo.net/on/4107

講演要約

 演者が眼科医となって約50年になるが、この間の眼科学の進歩には誠に目覚ましいものがあった。医療現場にも新しい検査法、検査機器が導入され、多くの疾患概念が塗り替えられた。当然のことながら治療法も変わった。処置や手術法も日進月歩の変遷で、眼科医療は所謂「レッドアイクリニック」から「ホワイトアイクリニック」へと一変した。しかし、この素晴らしい医学の進歩が現実の医療に本当に生かされているのか? 過去を顧みながら日常的な問題について、いくつか振り返ってみた。

 今回の研究会の参会者は眼科医療従事者でなく一般の方だったので、まず現在の眼科医療の実態を過去と比較しながら説明、その後、医療現場でよく遭遇する眼科医療の問題について検討した。徒然なるままに、さまざまな話に脱線しながらの講演であったが、日常的に経験する点眼薬治療における問題点を中心に以下に要約する。

 薬剤が病巣部に効率良く到達し、関係のない組織には行かないというのが薬物療法のポイントである。全身投与では薬剤は主に血液を介して病巣部へ運ばれるが、全身への副作用が懸念されるだけでなく、眼内には血液に対するいくつかの関門があるので効率が悪い。眼疾患では点眼が薬物療法の基本となる。50年前には想像できなかったほど多くの点眼薬が開発され、様々な病変に対応できるようになった。しかし、実
際に適切に使用され、治療効果が得られているのであろうか?という疑問がある。

1)処方した点眼薬の使用量(残薬)のチェックが必要!
結膜嚢の中に入る液量はたかだか30?。点眼瓶の形状や材質にもよるが、ここからの1滴は約50?とされるので、点眼量は1滴で十分ということになる。

 点眼液量を増やしても眼外へあふれ出るか、涙液と同様に、瞬目によって涙点から涙嚢、鼻涙管、鼻腔へと排出されてしまう。点眼量を増やしても効果が期待できないだけでなく、鼻腔などからの吸収による全身への副作用が強まる危険がある。点眼薬がすぐなくなるという人にはきちんと点眼方法を指導する必要がある。一方、残量の多い人も少なくない。点眼忘れもあるが、極端に結膜嚢に近づけて点眼するために、
一度結膜嚢に入った薬液を点眼瓶のスポイト作用で再吸引して、薬剤が汚染されている場合があるので注意したい。

 処方後の経過日数からして残薬があるとは思えないのに薬が無くなりそうで再来したという人もいる。少なくとも開封して1ヵ月以上経過した点眼薬は捨てるように指導したい。

2)点眼薬の性質、効能効果と副作用の観点から点眼方法を再考する!
①薬剤ごとに異なる点眼回数
 点眼薬の濃度は、一般に眼内の最高濃度が最少有効濃度の5~6倍程度になるように設定されているが、最少有効濃度までに低下する時間は、薬剤と作用すべき眼組織によってそれぞれ異なる。そのため1日の点眼回数は薬剤ごとに異なっている。1日2回しか点眼できない事情のある人には、1日4回用の薬を2回点眼するよりは1日2回点眼でよい薬剤を選択すべきである。

 アドヒアランスの問題もあり、点眼回数の少い薬が増加、配合剤の開発も進んでいることは喜ばしいことではあるが、点眼回数の少ない薬の中には水に溶けにくく吸収されにくいものがあるので、他剤との点眼間隔や順序に対する配慮が必要である。

②多剤点眼の場合の点眼順序
 水溶性点眼薬同士であれば、より効果を期待したい薬を最後に点眼する。水溶性点眼薬と懸濁性点眼液であれば水溶性を先に点眼する。懸濁性点眼液やゲル化する点眼液は最後に点眼する。

③点眼後両閉瞼、涙嚢部圧迫、2剤以上点眼では5分間隔を間けるという方法が本当にベストか?
 点眼薬が2種類、時に3種類以上処方されることがある。点眼直後にかなりの量の薬が涙嚢に吸い込まれ、さらに点眼の刺激で涙が出て結膜嚢内の薬物濃度は急激に薄まる。点眼直後に50%程度に減少するが3分後でも?%程度は残っているといわれている。結膜嚢内に未だ残っている薬剤を次の点眼薬で洗い出さないために5分位間隔を開ける必要がある。

 全身への副作用の懸念される点眼薬では、薬の効果を高め、副作用を減らすためには、薬が涙嚢に吸い込まれないように工夫する必要がある。これには点眼直後に両眼を閉瞼し、眼と鼻の間の涙嚢の上を指で押さえる方法が推奨されている。演者もβ遮断点眼薬の全身性副作用の回避のため、この方法を追試したことがある。そして、この方法の有効性は確認できたが、同時に、患者自身に行ってもらった経験では、涙嚢部が正確に同定できないために指の動きで涙嚢にポンプ作用が起こり逆効果となるという不確実性も体験している(s遮断剤チモプトール点眼の全身への影響と対策?特に点眼方法について?,眼臨,1198ー1201,1984)。現在、演者自身は両眼の閉瞼のみを指示している。

3)緑内障の点眼薬治療における問題点
・リズモン TG、チモプトールXE、ミケランLA、エイゾプトなど、水に溶けにくく吸収されにくい薬剤の点眼の留意事項は前項で述べた通りであるが、通常は単剤投与されるので問題ない。
・点眼方法に於ける一般的留意点も前項で述べた通りである。
・問題点は、現在第一選択として評価されているプロスタグランジン関連製剤の点眼方法である。

 特に調剤薬局(特にまじめなスタッフの多い薬局)における点眼指導が時に問題になる。眼圧下降の得られない患者にどのように点眼しているか聞き直すと、点眼後まもなく風呂に入り顔を洗っているという人が結構いる。薬局などでかなり強調して説明を受けている例もあるようである。青い目で肌も白い人種と違って日本人ではさほど強調すべき副作用であろうか? 治療の目的を理解して本末転倒にならないような説明を期待したい。

 一方、本剤の無効例があることが知られているためか簡単に他系列の薬剤に切り替えられことも少なくない。しかし、緑内障の治療は一生続く治療である。有力な治療薬を簡単に無効として切り捨ててよいものであろうか? もしかしたら点眼方法が不適切であったということはないか? 再検討する必要を強調したい。

4)薬の名前がわからない(・・・色の薬がほしい)
・患者さんにとって薬の名前を正確に記憶することは至難なことではないか? 一番多いのが青色の薬 が無くなったというような色による情報だが、瓶の色であったり袋の色であったり、キャップの色で あったり、掴みどころがない。我々としては一日4回点眼の薬? 2回の薬? などの質問で絞ってさらに写真や実物を見せて確認するしかないが、後発薬品が際限なく増加するとお手上げになる。

5)後発医薬品とはなにか? 日本の眼科医療における問題点
・日本の後発薬品と欧米のジェネリック医薬品とは異質なものである。欧米のジェネリックは主成分だけでなく添加物なども先発薬剤と全く同じものだが、日本は主成分が同じであれば同じ薬と認めているものである。
・前述した緑内障治療薬の原点ともいえるプロスタグランジン(商品名:キサラタン)を例示する。日本緑内障学会の調査結果では後発薬品が23種類もあった。国の方針にそって今後更に後発薬品の増加が予測されるが、名前も異なれば容器(色)も全く異なる後発薬品による現場での混乱は想像を絶するものがある。
@後発薬品:日本緑内障学会の調査結果 
http://www.ryokunaisho.jp/infomation/data/eyewash_ver3.31.pdf

6)薬の販売申請(適応、薬価、など) 
 有用でも薬が眼科の適応がない薬。保険採用されても適応が狭い薬。高額で眼科医療を圧迫する薬。
 薬剤の製品化、薬価などは製薬、販売会社の経営方針が先行し、ユーザー(医療機関)のニーズにはなかなか答えてくれない現実がある。先発メーカーや後発メーカーで競い合うのではなく、患者のためにどのようにするのが良いか、営利だけでなく、医療の原点に立ち返って検討してほしいと願っている。

略歴

1970年 新潟大学大学院医学研究科修了後、新潟大学文部教官医学部(医学博士)
1973年 新潟市民病院に転任。眼科部長、地域医療部長、診療部長を歴任。
2004年 新潟市民病院定年退職。新潟医療技術専門学校視能訓練士科教授就任。
    にいつ眼科名誉院長、新潟県眼科医会会長として地域医療に係る。
現在は、新潟市江南区ふじい眼科名誉院長、新発田市今井眼科医院顧問

後記

 長い間、新潟市民病院の眼科部長を務められ、新潟県眼科医会会長も歴任された藤井青(ふじい しげる)先生が、眼科医としての50年を振り返り、眼科の疾患の診断と治療の歴史を、問題点も含め丁寧に解説して下さいました。
 70枚を超えるスライドを駆使し、体験してきた約50年間の眼科医療を振り返りながら、素晴らしいこの眼科学の進歩をいかに眼科医療の現場に生かすべきかについてお聞きした貴重な講演でした。いつもながら、豊富な知識と奥深い思慮に感服致しました。
 藤井先生には益々お元気でお過ごし下さい。そして、我々後輩のご指導ご鞭撻をお願い致します。

街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理

報告:第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会 清水美知子

演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士)
日時:平成27年9月9日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
http://andonoburo.net/on/4065

講演要約

 視覚障害がある人の歩行訓練は人々が活動している実環境で行われることに大きな特徴がある。そこで訓練士は視覚障害がある人と街の人、そして双方のインターラクションを観察する。
 南雲(2002)は、障害によってもたらされる心の苦しみには、自分の中から生じるものと、自分と社会の関係から生じるものがあり、前者の苦しみを軽減するためには新たな自分を知り受け入れる「自己受容」が、後者のためには社会が障害者を受け入れる「社会受容」が必要であるとしている。

 私は「街を歩く」ことがこの二つの受容を進めるのに役立つと考えている。視覚障害がある人は、街を歩く自分と自分に対する街の人の態度を観察することを通して自分を再形成する。一方、街の人は視覚障害がある人を見たり言葉を交わしたりすることで、各々の障害者観を形成していく。

「街を歩く」ことは、街の人々(社会)に対して自分をさらけ出すこと(Coming-out)でもある。視覚障害を隠すには、動かなければよい。視覚障害のある人が座って前を見ているだけでは、その人の視覚障害を疑わせる手がかりを見つけるのは難しいが、その人が立ち上がり一歩足を前に踏み出せば、視覚障害の存在を隠すのは難しい。つまり視覚障害のある人にとって街に出ることは、否応のない自己開示なのである。

 街には、見返すことのできない視線、予測できない態度の人々が待ち受けている。そのような好奇な眼の中へ足を踏み出すのは、自分が思っている以上に心の強さが要る。視覚障害によって自尊心が傷つき自信を失っている状況にある人にとっては、さらにその負担は大きい。障害を負った後、自分自身を再形成する段階では、自分を周囲にどう見せようか迷っている状態のため、外には出たいが、自己開示はしたくないという気持
ちになる。足元が見えにくく歩くのに不安を抱えながらも、あたかも眼は悪くないかのように振る舞いがちである。そのため、外出中、白杖を出したり、場所や状況によって折りたたんで鞄の中にしまったりしながら歩く人もいる。社会に対する自己開示のハードルは決して低いものではない。今回の勉強会に参加した盲導犬使用者のひとりが「盲導犬と出かけたら度胸が決まり、乗り越えられないでいた垣根を越えられた」「杖は折りたためるけど、盲導犬は折りたためない」と語ったが、それはこのような状況での話だろう。

 対人関係における自己開示、コミュニケーション、気づき、自己理解などを説明するのに、「ジョハリの窓」というモデルがある。そのモデルでは自分を「公開された領域」「隠された領域」「自分は気づいていないが他人には見られている領域」「自分には他人にもわからない領域」の4つの領域に分けている。障害を負うとそれまで認識していた自己概念や自尊心が壊れ、それを再認識しないと新たな自分を形成できない。自分がよくわからない段階では解放された領域が小さい。例えば、今自分が外を歩いたらどのように歩くか、見えなくなって家から出てない人にはわからない。街に出て自分の歩く姿を人に見せ、見た人のリアクションを受け止めることは、自分自身を知るプロセスとして大切である。そしてそれは同時に街の人の意識を変えることにも役立つ。

 講演後、視覚障害のある参加者(盲導犬使用者5人、白杖使用者1人)に街を歩いているときに経験したことについて質問した。多くの回答は街の人から受けた親切で優しい応対についてであった。そこで、あえて嫌な思いをしたことや辛かった経験についても聞かせてもらった。以下はその一部である。

・突然、汚い言葉や罵声を浴びせられた
・「俺がお前を襲ったら、この犬(盲導犬)はどうする?」と脅された
・帰路、付きまとわれたので、遠回りをして家に帰った。
・「他のお客さんに迷惑なので」とコンビニや飲食店で入店を拒否された
・「見えない者は外を歩くな、見えないのになぜ外を歩く」と言われた
 そのほか、遠慮のない好奇心から質問された、上からの物言いをされた、無視された、避けられた等の経験談が挙げられた。

 一般に障害がある人に対する街の人の態度を決める要因には、知識、接触経験、能力観、価値観、ステレオタイプ、相手の態度などがあるといわれる。当事者の数少ない体験談、テレビ番組で紹介される「がんばる障害者」などが、個々の街の人が時折視覚障害のある人と遭遇したときに示す態度に影響を与えているのであろう。社会の障害者への態度は一朝一夕に変わるものではなく、法で規制できるものではない。街の中での一期一会が、社会の障害観を形成するひとつの要因として機能するものと思われる。

 今回の勉強会で、視覚障害のある人から、移動支援、買物介助、代筆代読、通院介助等、福祉サービスが濃くなることで、視覚障害のある人と街の人との直接的な交流が少なくなってきているのではないかと心配する発言があった。視覚障害のある人の多くは高齢で、加齢に伴う身体機能や認知機能の低下を考えると、同行援護従業者、ホームヘルパーなど福祉専門職との外出機会が増えていると思われる。外出のための支援が、一方では街の人との間の垣根となる側面があることを、サービスを提供する側も利用する側も共にしっかり認識しておく必要がある。

参考資料

・南雲直二(大田仁史監修):リハビリテーション心理学入門−人間性の回復をめざして. 荘道社. 2002
・清水美知子:「Coming-out, 自分になる」、済生会新潟第二病院眼科勉強会. 2002年8
・ジョハリの窓:https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョハリの窓

略歴

1979年~2002年
視覚障害者更生訓練施設に勤務、その後在宅視覚障害者の訪問訓練事業に関わる
1988年~
新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて、視覚障害リハビリテーション外来担当
2002年~
フリーランスの歩行訓練士

参考までに

カミング・アウトに関する清水先生の過去の講演録を、以下に記します。
●報告:第76回(2002‐9月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 清水美知子
日時:2002年9月11日(水)16:00~17:30
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
演題:「Coming out –人目にさらす」
講師:清水美知子 (信楽園病院視覚障害リハビリ外来担当)
http://andonoburo.net/on/4023

●報告:第87回済生会新潟第二病院眼科勉強会 清水美知子
日時:2003年8月20日(水) 16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
演題:「Coming-out Part 2 家族、身近な無理解者」
演者:清水美知子(歩行訓練士)
http://andonoburo.net/on/4030

後記

 清水先生は、障害者の目線でお話の出来る方です。「NBM(Narrative-based Medicine;物語と対話による医療)」とか、「社会受容」ということを最初に教えて頂いたのが清水美知子先生でした。
 当院で開催する講演会や勉強会には清水先生を、ほぼ毎年をお呼びしていますが、先生の講演の日は、いつも多くの視覚障害者の方が出席します。どうしてなのか不思議でしたが、答えが判りました。今回の勉強会に、こんな感想が届きました。「清水先生のお話を聞くと『あるある』とか『そうそう』とか『そうなのよ』とうなづくことばかりで、どうしてそんなに分かるのかなあといつも不思議にさえ思います。でもだからこそ、この人は私達、視覚障碍者のことが分かる人、と安心して心が開けるので人気なのでしょう」。

ページの先頭へ