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『見たい物しか見えない』と『見たい物が見えない』のあいだ

案内:第241回(16‐03月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 (関 恒子)

演題:「『見たい物しか見えない』と『見たい物が見えない』のあいだ」
講師:関 恒子(長野県松本市)
日時:平成28年03月09日(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
http://andonoburo.net/on/4488

抄録

 私が近視性黄斑変性症を発症してちょうど20年、左眼、右眼に黄斑移動術を受けてからそれぞれ19年、18年になる。ある日見つけた視界の中心の小さな歪みは次第に眼鏡の真ん中に拭っても消えない水滴が付いているかのようにかすみ、やがてそれははっきりした中心暗点となっていった。強度近視を持っていたもののそれまで何の不便もなかったのに、左眼に続き半年後に右眼にも発症したため、日常生活さえ脅かされるような不便さを感じ、この頃の不安はとても大きかった。中心暗点に邪魔されて見たい物がよく見えない。自然に直視すると、周りの不要な物は見えても見たい物は見えないので、先ず暗点を追い払い、周辺視野を使って見るようにしなければならない。つまり見たいという願望を持ち努力しない限り物は見えてこないのである。

 この状況をなんとしても改善したかった私は、当時治験中の黄斑移動術を受けることを決めた。新しい治療法との出会いは、私に希望を与え、結果のいかんに関わらず、大きな精神的救いとなった。術後合併症や再発のために入退院を繰り返し、術後生じた不具合な見え方に不満を感じることはあったが、術前より視力は改善し、右眼は再び中心で物を見ることができるようになったことで、私のQOLは非常に向上した。私はこの視力を精一杯有効に使うことを決意し、拡大鏡を使って読書量を増やし、景色も以前より心して印象深く見てきたつもりである。

 しかし最初の手術から19年経過した今、暗点は周辺から中心に及び、私は「見たい物がどうしても見えない」状況に近づきつつある。発病を知り、不便さをさんざん嘆いていた頃より症状はかなり深刻である。だが私の日常を見ると、確かに不便さは大きくなっているに違いないが、初期のような嘆きはなく、行動もそれほど制限されていない。これは自分の障害に対する意識変化と補助具の進化、ロービジョンに対するリハビリテーションの賜物であると思っている。しかしこの先自分がどこまで障害を受容できるかわからない。

 勉強会では見え方の変化の中で感じてきたことや、目が悪くなったからこそ見えてきたもの、これまでの私の挑戦等を語ってみたい。

略歴

富山大学薬学部卒業。薬剤師。
信州大学研修生を経て結婚。一男一女の母となる。薬品会社勤務。退社。
1996年左眼に続き、右眼にも近視性黄斑症を発症。
1997年と1998年に黄斑移動術を受ける。
松本市在住。趣味:ドイツ文学研究、フルート演奏、英国文化にも憧憬を持つ。

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