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『報告:新潟ロービジョン研究会2014 4)シンポジウム 吉野由美子』

シンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう」
1)ロービジョン当事者として相談支援専門家として我が国のロービジョンケアの未来に対する夢を語る
吉野 由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)
http://andonoburo.net/on/3259

講演要約

 私は、昭和22(1947)年に生まれ66歳になる。生後3ヶ月の時に母が、私の眼が見えていないのではないかと気づき眼科へ、先天性白内障と診断され、生後6ヶ月から7歳までの間に6回に分けて濁った水晶体の摘出手術を受けた。後から知ったのであるが、この時期にこんなに早くから開眼手術を受けられたのは奇跡に近い出来事だったらしい。7歳の時に、16Dぐらいの分厚い凸レンズを処方され、真っ白だと思っていた瀬戸物に細かいひび割れがあるのを見てびっくりした記憶が鮮明に残っている。16歳の時に初めて弱視レンズを紹介され、遠用と近用のメガネを使い分けて見ることを学んだ。その後光学機器の発達の助けを借りて、私の見る能力はどんどん向上した(矯正視力右0.03、左0.2)。

 ところが、35歳の時に突然右目が窓ガラスに水滴がついたような見え方になり、ひりひりした痛みが出るようになった。「失明するのではないか」という恐怖に駆られて、有名眼科をいくつか受診したが、「小眼球で仕方がない」と言われ、「先天的な障害があると治療の対象にもしてもらえない」ことにショックを受けた。幸い右目の症状はそんなに悪くならなかったが、56歳を過ぎる頃から、再び右目の角膜混濁が強くなり痛みも出るようになった。その時に、視覚リハの仕事で知っていたロービジョンに精通した眼科医から、角膜移植の専門医を紹介していただき、目の前の症状を緩和することだけでなく、将来の自分の眼の予後についてや角膜移植の時期など見通しを持った治療とその説明を受けることができた。それと同時に、やはり仕事で知っていたロービジョンケアに精通した眼鏡士から、自分の状態に合った遮光眼鏡を紹介された。

 以上のような自分自身の経験と、幼い頃からのロービジョンの方たちの相談に乗った経験から、医療の中でのロービジョンケアの未来に望むことを以下にまとめた。
1.障害があって元々視力が弱くても、幼い頃からのロービジョンのあるものは、その見え方に依存して生きている。0.01から全盲になってしまうことは、「中途失明」と同じ状態であることを、ロービジョンケアに携わる眼科医がまず理解し、すべての眼科医が理解しているように教育されること。

2.ロービジョンのある方の視力や視野が落ちてきたら、それを「病気」ととらえ、治療の対象と考えて欲しい。また、視力や視野の低下の原因について、きちんとした説明を受けることができるようにして欲しい。

3.その人なりに見えていることの意味を熟知した担当医(ロービジョン専門家)から最先端医療を担う専門眼科の医師にその見え方を維持するための最善の治療を受けられるように紹介して欲しい。担当医と専門眼科医の連携が、いつでもどこにいてもできるようになっていて欲しい。

4.ロービジョンケアを標榜する病院においては、メガネ等の補助具の正しい選定がおこなわれるだけでなく、その使い方のトレーニングが受けられるように視能訓練士等のスタッフを充実させて欲しい。

5.見え方が変化するたびに「失明するかも」という不安に襲われ、生活上の支障も出てくる方たちのために、カウンセラーやソーシャルワーカーなどの心のケアや生活相談に乗れるスタッフの必要性とその育成をロービジョンケアをおこなう眼科医が積極的に主張し、教育をおこなう体制を整えて欲しい。

6.見えないことによって困るのは、日常生活の場面であるから、訪問リハが医師の指示によってできるように、教育現場や在宅の場面、高齢者の施設などに、視能訓練士等が出向いて、視機能検査や、補助具の選定等ができるシステムが確立されるようになって欲しい。
 
 以上、先天のロービジョン当事者の経験と、視覚リハの相談者としての経験から語らせていただいた。

略歴

1947年 東京生まれ 66歳 
1968年 東京教育大学(現筑波大学)付属盲学校高等部普通科卒業
1974年 日本福祉大社会福祉学部卒業後、名古屋ライトハウスあけの星声の図書館に中途視覚障害者の相談業務担当として就職(初めて中途視覚障害者と出会う)
1991年 日本女子大学大学院文学研究科社会福祉専攻終了(社会学修士)
     東京都立大学人文学部社会福祉学科助手を経て
1999年4月~2009年3月 高知女子大学社会福祉学部講師→准教授
     高知女子大学在任中、高知県で視覚障害リハビリテーションの普及活動を行う。
2008年4月~任意団体視覚障害リハビリテーション協会長(現在に至る)

後記

患者さんの生の声を聞いた。吉野さんは、生い立ち・病気のこと・眼科医の言葉に対する感情(気持ち)を披露して下さった。
「治ることは期待しないが、治療して欲しい」「治る見込みのない障害者であっても治療の対象として診て欲しい」「視機能が向上しないと治療の意味がないのか?そんなことはない」「少なくても眼の状態について説明して欲しい」「最善の治療を受けているという確信がないとLVケアは受けられない」「主治医と専門家の連携を。よく話を聞いて欲しい」、、、、、、
それは、すべての医療関係者に聞いて欲しい患者さんの叫びだった。

『報告:新潟ロービジョン研究会2014 3)特別講演:加藤 聡』

特別講演3
「本邦におけるロービジョンケアの課題と将来への展望」
加藤 聡(東京大学眼科准教授;日本ロービジョン学会第3代理事長)
http://andonoburo.net/on/3253

講演要約

 日本ロービジョン学会が設立され、田淵前々理事長、高橋前理事長の功績により、ロービジョンケアが眼科医にも認識されるようになり、昨年には保険点数も付くようになった。しかし、本邦におけるロービジョンケアを取り巻く問題点の多さに未だ愕然とする思いがある。本講演では、はじめに日本ロービジョン学会について説明し、次にロービジョンケアを取り巻く課題と解決法、そして最後にロービジョンケアの将来についてお話しする。

1.日本ロービジョン学会
 日本眼科学会のその関連学会23学会の一つであり、2000年に発足し、毎年学術総会を開催しており、その総会長は眼科医のみならず、ロービジョンケアにたずさわる多くの関係者が行っている。学会員の総数は現在約720名で、その三分の一ずつが眼科医と視能訓練士で、残りの三分の一をその他の医療関係者、教育関係、福祉関係の方々で構成されている。

2.現在のロービジョンケアを取り巻く6つの問題
①眼科医療に携わる者(眼科医、視能訓練士)に対して、ロービジョンケアに関して系統だった教育法が確立されていない
②補助具の眼科診療室内での整備が難しい
③保険点数が認められたものの未だ、請求しづらい点がある
④視覚障害による身体障害者等級の線引きの妥当性の検証が未だ不十分なこと、
⑤関連団体との情報の共有性が充分なされていないこと、
⑥本邦内でのロービジョンケアの地域間格差があることである。

 ①では、眼科医療の携わる指導者がロービジョンケアの教育を受けていないことが現状では問題であり、指導者層のロービジョンケアへの関心の向上が必要である。①の影響もあり、一通りの治療が済んだ失明者が眼科医を受診した時に、眼科医そのものが戸惑ってしまうこともある。②では、眼科内では補助具の販売ができず、そのために充分なトライアルセットが完備されていない現状がある。安価で正確なトライアルセットの出現が待たれる。③では、未だロービジョンケアに携わる眼科医が非常勤の場合に算定できないことがある。④では、身体障害者等級決定には科学的に裏打ちされた日常生活の不自由度によるものが理想だが、請求の簡便性とは相容れない物があり、その妥協点を見つけることが必要である。⑤では、ロービジョンケアを実施している施設の取りまとめが、各団体により異なり、視覚障害者に必ずしも正しい情報を提供しているとは言い難いのが現状である。⑥では県によってはロービジョンケアを行っている施設が充足されているのか疑問のところがある。全てにおいて解決策を示すことはできないが、そのような問題点があることをロービジョンケアに携わる者が知っておくことは意義があると考える。

3.今後の展望として
 私が最も期待していることは、再生医療やiPS細胞などの最新治療により得られることになるであろう今まで経験したことのない新たな視機能に対するロービジョンケアの研究である。本来、それらの研究は、最新医療の研究と並行して行われていかなければ、最新治療により受けられる患者の恩恵は最小限のものになってしまう危険性がある。
 それに各県単位であるが、スマートサイトのようなネットワークができ始めていることが、ロービジョンケアの充実に不可欠であることを説明する。また、将来のロービジョンケアの中で今後、重要視すべきことは、視覚障害者の就労の問題である。JAMA Ophthalmolという雑誌の最新号に視力障害者には無職者が多いことが証明されており、この問題が重要性がわかる。
 最後に、私自身が考える本邦でのロービジョンケアのあり方についていくつか提言したい。それらは、
①ロービジョンケアにおいては眼科医のみならずあらゆる職種に協力を仰ぐこと、
②眼鏡店のロービジョンケアへのさらなる介入と全国展開への期待、
③補助具関連企業の世界的標準化、
④特殊支援学校や視覚障害者団体との情報の共有化、
⑤ロービジョンケアに関する研究の推進である。
 どれもすぐに実現できるものではないが、私自身はその実現に向けて努力を惜しまない考えである。

略歴

加藤 聡 (カトウ サトシ)
1987年 新潟大学医学部医学科卒業
     東京大学医学部附属病院眼科入局
1990年 東京逓信病院眼科
1996年 東京女子医科大学糖尿病センター眼科講師
1999年 東京大学医学部附属病院分院眼科講師
2000年 King’s College London, St. Thomas’ Hospital研究員 
2001年 東京大学医学部眼科講師
2007年 東京大学医学部眼科准教授
2013年 日本ロービジョン学会理事長
2014年 東大病院眼科科長兼任
  現在に至る

『報告:新潟ロービジョン研究会2014 2)特別講演:高橋 広』

特別講演2
 日本におけるロービジョンケアの流れ:ロービジョンケアからロービジョンリハビリテーションへ-平成24年度診療報酬改定の意味するところ-
高橋 広(北九州市立総合療育センター;日本ロービジョン学会第2代理事長)
http://andonoburo.net/on/3234

講演要約

 私のロービジョンケア(LVC)にかける思いを端的に表現すると、保有視機能を最大限に活用してQOLの向上を目指すものが私のLVCである。

 1994年ある一人の成人緑内障患者との出会いからLVCを知った。日々治療に明け暮れていた私は、患者が希望する社会復帰を支援することができず煩悶していた。その時、知人の紹介で一人の歩行訓練士がこの患者に接したことで、患者は精神的にも立ち直り、社会復帰を果たしていった。その状況をつぶさに見た私は、LVCの真髄を垣間見る思いであった。これを機に、1996年産業医大病院眼科にロービジョンクリニックを開設した。当時は教育や福祉が主にLVCを担当しており、患者の多くはLVCの名すら知らず、眼科は経過観察や治療を提供する場でしかなかった。

 その頃、LVCに関心を持つ眼科医が公に学ぶ場は厚生省主催視覚障害者用補装具適合判定医師研修会しかなく、LVCに関する和文の教科書もほとんどなく、須く私の師匠は患者であり、視覚障害者の方々であった。一方、視覚障害者の方々が持つ問題が医療だけでは全て解決できないのは自明のことであり、多くの他職種の人たちとの学際的連携が重要であると考え、北九州視覚障害研究会や九州ロービジョンフォーラムを発足させた。そして、この仲間との体験を一冊にまとめたものが「ロービジョンケアの実際 視覚障害者のQOL向上のために」(医学書院)である。

 そもそも、眼科医療は眼疾患や視機能障害を診るのだから、そこから発生する不自由さや日常生活動作の支障を考えると、私たち眼科医は患者の目の使い方、適切な視覚補助具や視環境等々のアドバイスはごく普通にできるはずである。場合によっては心のケアを行いながら、「できなくなった」日常生活動作を一つひとつ「できる」ようにすることで自信が回復し、それが学校や職場など社会復帰へ繋がっていくことを当事者や家族が実感できることが大切である。

 そのためには、寄り添いながらニーズに対応していくLVCでは十分でないことも多々あり、それを包含してもなお余りあるものが必要と考えた。それは、寄り添うところから一歩踏み出し、患者の抵抗を知りつつも患者の背中を押すことの必要性である。これは患者の意に沿わぬことを押し付けているように傍からは見え、医療スタッフに誤解を生じることも時にはあるが私はこれをロービジョンリハビリテーション(LVR)と呼び、これこそが眼科医療の役割と認識している。

 また、他の身体障害では早期リハビリテーションがその予後を左右するといわれており、LVRでも同様と考える。これには、視能訓練士や看護師などのコメディカルとともに生活支援の立場から展開させていくことが大切である。

 以上のような考え方をベースに、眼科医療にLVC、LVRを広く普及させなければならない重要性を痛感した私は"LVCの診療報酬化"を積極的に進めた。その結果、日本眼科学会や日本眼科医会の協力が得られ、厚生労働省の担当者にもご理解いただけ、当事者の方々からの大きな声が追い風となって、私が日本ロービジョン学会理事長在任中の2012年に、ロービジョンの診療報酬化はロービジョン検査判断料の名称で実現した。このロービジョン検査判断料は、繋ぎ目のない連携を求めており、医療がその任を果たすべきであることを示している。このようにLVRの意味を明確にした。したがって、今後のLVCはLVRを担う眼科医療が中心となり、如何に患者主導の医療に展開していくべきかである。

略歴

高橋 広(北九州市立総合療育センター眼科部長)
1975年 慶應義塾大学医学部卒業
1986年 カナダ・ブリティッシュコロンビア大学留学
1989年 産業医科大学医学部眼科学講座講師
1993年 同大学助教授
2000年 柳川リハビリテーション病院眼科部長
2008年 北九州市立総合療育センター眼科部長(現在に至る)
2012年 獨協医科大学越谷病院特任教授

役職:日本ロービジョン学会理事長:2010年4月~2013年3月

『報告:新潟ロービジョン研究会2014 その1 特別講演:田淵昭雄』

歴代の日本ロービジョン学会理事長3名が一堂に会して「我が国のロービジョンケア 過去・現在・未来」の特別講演、各地でロービジョンケアを実践している3名にシンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう」で語って頂きました。各講師の講演が素晴らしく、また実りあるディスカッションと充実した時を過ごすことが出来ました。
 研究会には、新潟県内はもちろんのこと、全国(香川県・東京都・埼玉県・愛媛県・兵庫県・宮城県・茨城県・福島県・大阪府・滋賀県・奈良県・山形県・京都府・千葉県・岐阜県・神奈川県・和歌山県・福岡県・岡山県;参加申し込み順)から、約80名(医師・視能訓練士・教員・学生・心理カウンセラー・社会福祉士・ガイドヘルパー・市民の方々・当事者・家族等々)が参加し、「我が国のロービジョンケア 過去・現在・未来」をテーマに、大いに盛り上がりました。
 講師の方々に講演要約を書いて頂いたので、順次、ご報告致します。

特別講演 1
日本におけるロービジョンケアの流れ:日本ロービジョン学会の設立前
田淵昭雄 (川崎医療福祉大学感覚矯正学科;日本ロービジョン学会初代理事長)
http://andonoburo.net/on/3222

講演要約

 2000年4月の第1回日本ロービジョン(以下、LV)学会学術集会での基調講演で、丸尾敏夫帝京大学教授が「・・日本におけるLVへの眼科医の対応は1929年にはじまり、弱視学級が作られた。近代的なLVの医療、教育、社会や行政への対応は40年前から始まり、30年前にはすで確立していた。」と述べられた。すなわち、1929年に小柳美三東北大眼科教授がLV児の特殊教育の必要性を訴え、1933年に南山尋常小学校(東京麻布)に全国初の弱視学級が開設された。戦後になって傷痍軍人など中途LV者のための更生施設開設(松井新二郎の活躍)と共に、1960年前後に原田政美、大山信郎、湖崎克ら眼科医の活動によって学校教育の中に弱視教室が実現した。1960年原田政美による視覚障害福祉、1961年湖崎克による弱視教育に関する学校保健法への働きがあり、1963年には弱視学級が大阪、東京、岡山で創設されている。1964年に文部省補助金交付対象研究団体として日本弱視教育研究会(大山信郎会長)が発足しているのは注目すべきである。同年に順天堂大学や岡山労災病院の眼科外来に今で言う総合リハビリテーションとも呼ばれる(障害の告知、心理相談、進路相談、院内生活訓練なども行う)本格的なLVクリニックが設置されている。LVケアも斜視弱視外来に取り入れられている。

 それでも当時は眼科医主導のLVケア施設数が少ないこと、何よりもLVケアへの眼科医の関心の低さなどから、全国的には多数のLV者が眼科医療からLVケアへ繋がれることなく放置されていた、と言っても過言ではない。

 一方、1970年から1980年代は視覚障害を持つ乳幼児の研究が盛んとなり、1979年には第1回乳幼児視覚障がい研究会(対馬貞夫ら)が立ち上げられている。演者が1970年代に兵庫県立こども病院在職中は、LV児は1968年に開設された東京都心身障害者福祉センター(原田政美所長)や1975年に開設された神戸市立総合福祉センターの視力障害幼児生活訓練室などで指導してもらった。何といっても地元でのLVケアが本来的であるが、その必要性を理解していた眼科医はまだ力不足であった。1970年以降の白内障眼内レンズ挿入術や網膜硝子体手術など眼科医療・研究の急速な発展と、それに追付こうとする気運が勝り、一般眼科医にはLVケアは念頭になかったといえる。ところが、高齢者社会の到来と共に中途LV者の増加が次第に地域LVケアへの転換の気運を生み出した。

 1991年から年1回開催された国立身体障害者リハ・センター(簗島謙次眼科部長)での厚生労働省による「視覚障害者用補装具適正医師研修会」(通称、医師研)を受講した全国各地の眼科医による職場(地域)での活躍が年々活発化した。彼らは毎年大きな学会中に研究会を開き、症例検討や簗島謙次眼科部長から世界のLV研究の状況などを聞いて仲間意識を強めてきた。この研修会が国リハでの5日間の集中研修であったために参加者はそれほど増えなかった。しかし、彼らが核となりLVケアの学術的向上を望み、眼科医療関係者以外の教育、看護、福祉、保健や行政その他など広い領域による学際的組織として「日本LV学会」創設の基盤になっている。幸い2007年から同センターの部長(仲泊聡)が代わったのを機に、医師研の期間が3日間に短縮されて受講しやすくなっている(演者はその最初の受講生20名の一人で第230号の修了証書をもらっているが、この数は今後飛躍的に増加するだろう)。

 演者(小児眼科医)の立場からみると、今なお、視覚障害乳幼児の早期指導で個々に応じた対応ができていない。とくに、晴眼児とのコミュニケーション不足も大きな問題で、本学会のロゴマークを無償で寄贈された漫画家故赤塚不二夫のような民間人からの支援も受けながら、今後より確実な指導法を開発する必要がある。(1603字)

略歴

田淵昭雄 
昭和43年(1968年) 3月 神戸大学医学部卒業 
昭和45年(1970年) 7月 兵庫県立こども病院眼科勤務
昭和52年(1977年) 5月 川崎医科大学 助教授 (眼科学)
平成 元年(1989年) 9月 川崎医科大学 教授  (眼科学) 
平成 4年 (1992年) 9月 川崎医療福祉大学 教授(感覚矯正学)併任 
平成16年 (2004年)12月 川崎医科大学 教授 退職 
平成17年(2005年) 4月 川崎医科大学名誉教授
平成23年(2011年) 4月 日本眼科学会名誉会員
平成25年(2013年) 4月 川崎医療福祉大学 特任教授

役職:日本ロービジョン学会理事長:
平成12年(2000年)4月~平成22年(2010年)3月

「視覚障害者の求めた”豊かな自己実現”―その基盤となった教育―」

案内:第229回(15‐03月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 岸 博実

演題:「視覚障害者の求めた"豊かな自己実現"―その基盤となった教育―」
講師:岸 博実(京都府立盲学校教諭・日本盲教育史研究会事務局長)
日時:平成27年03月11日(水)16:30 ~ 18:00 
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 
http://andonoburo.net/on/3434

 済生会新潟第二病院眼科で、1996年(平成8年)6月から毎月行なっている勉強会の案内です。参加出来ない方は、近況報告の代わりにお読み頂けましたら幸いです。興味があって参加可能な方は、遠慮なくご参加下さい。どなたでも大歓迎です(参加無料、事前登録なし、保険証不要)。ただし、お茶等のサービスもありません。悪しからず。

抄録

 日本の盲人は"記憶"と"手技"を駆使して職業を獲得してきた。徳川時代には「自治」を経験し、教育機関も設けた。明治以降の盲教育は、西欧の知見に触発されつつ、日本的な特性を持って構築された。教育目的に掲げられた「自助」論を問い直す必要があろう。
 まず、明治以降の<教育権>思潮を小西信八の言説と教員組織の営みを通してなぞり、「盲・ろう教育の義務化と分離」が希求された経緯と、特別支援教育の課題を考える。
 次に、視覚障害当事者の営為を振り返る。好本督や鳥居嘉三郎による「同窓会」・「日本盲人会」の結成が点字新聞等の発行へとつながった。高等教育を志した青年の先駆性、木下和三郎『盲人歩行論』の先見性にも光を当て、「自己実現」追求の意義を確かめる。
 さらに、「人類の文字が東西ともに凹字から始まったのはなぜか」の考察を入り口に、「紙と平らな文字(墨字)」時代の明と暗をみつめ、凸字から点字へと飛躍した画期的な展開をおさえる。「文字の世界の新人」である点字の魅力と将来像を吟味する。
 最後に、新潟ゆかりの先人たち-小西信八が示した点字を最初に読みこなした小林新吉、高田訓矇学校を興した大森隆碩たち、『玄海』(辞書)や『内国地図』(教科書)を点訳した東京盲唖学校訓導・大森ミツ-に思いを馳せたい。
 <高田盲学校史料>の中から埋もれた希少資料を紹介し、新潟の視覚障害教育史資料の保存及び活用への期待を述べたい。

略歴

1972年(昭和47年)   広島大学教育学部卒業
1974年(昭和49年)~  京都府立盲学校教諭
2011年(平成23年)~  点字毎日・点字ジャーナルに盲教育史連載 
2012年(平成24年)~  日本盲教育史研究会事務局長
2013年(平成25年)~  滋賀大学教育学部非常勤講師
          6月 盲人史国際セミナーinパリで招待講演を担当
2014年(平成26年)7月 第23回視覚リハビリテーション研究発表大会で
              教育講座を担当

ネット配信

 今回の勉強会の一部は、「新潟大学工学部渡辺研究室」と「新潟市障がい者ITサポートセンター」のご協力によりネット配信致します。以下のURLにアクセスして下さい。下記のいずれでも視聴できます。

http://www.ustream.tv/channel/niigata-saiseikai 
http://nitsc.eng.niigata-u.ac.jp/saiseikai/

 当日の視聴のみ可能です。当方では録画はしておりません。録画することは禁じておりませんが、個人的な使用のみにお願いします。

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