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眼を見つめて50年

報告:第235回(15-10)済生会新潟第二病院眼科勉強会 藤井 青

【目の愛護デー記念講演会 2015】
「眼を見つめて50年ー素晴らしい眼科学の進歩と医療現場における問題を顧みる」
講師:藤井 青(ふじい眼科)
日時:平成27年10月14日(水)16:30 ~ 18:00 
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
http://andonoburo.net/on/4107

講演要約

 演者が眼科医となって約50年になるが、この間の眼科学の進歩には誠に目覚ましいものがあった。医療現場にも新しい検査法、検査機器が導入され、多くの疾患概念が塗り替えられた。当然のことながら治療法も変わった。処置や手術法も日進月歩の変遷で、眼科医療は所謂「レッドアイクリニック」から「ホワイトアイクリニック」へと一変した。しかし、この素晴らしい医学の進歩が現実の医療に本当に生かされているのか? 過去を顧みながら日常的な問題について、いくつか振り返ってみた。

 今回の研究会の参会者は眼科医療従事者でなく一般の方だったので、まず現在の眼科医療の実態を過去と比較しながら説明、その後、医療現場でよく遭遇する眼科医療の問題について検討した。徒然なるままに、さまざまな話に脱線しながらの講演であったが、日常的に経験する点眼薬治療における問題点を中心に以下に要約する。

 薬剤が病巣部に効率良く到達し、関係のない組織には行かないというのが薬物療法のポイントである。全身投与では薬剤は主に血液を介して病巣部へ運ばれるが、全身への副作用が懸念されるだけでなく、眼内には血液に対するいくつかの関門があるので効率が悪い。眼疾患では点眼が薬物療法の基本となる。50年前には想像できなかったほど多くの点眼薬が開発され、様々な病変に対応できるようになった。しかし、実
際に適切に使用され、治療効果が得られているのであろうか?という疑問がある。

1)処方した点眼薬の使用量(残薬)のチェックが必要!
結膜嚢の中に入る液量はたかだか30?。点眼瓶の形状や材質にもよるが、ここからの1滴は約50?とされるので、点眼量は1滴で十分ということになる。

 点眼液量を増やしても眼外へあふれ出るか、涙液と同様に、瞬目によって涙点から涙嚢、鼻涙管、鼻腔へと排出されてしまう。点眼量を増やしても効果が期待できないだけでなく、鼻腔などからの吸収による全身への副作用が強まる危険がある。点眼薬がすぐなくなるという人にはきちんと点眼方法を指導する必要がある。一方、残量の多い人も少なくない。点眼忘れもあるが、極端に結膜嚢に近づけて点眼するために、
一度結膜嚢に入った薬液を点眼瓶のスポイト作用で再吸引して、薬剤が汚染されている場合があるので注意したい。

 処方後の経過日数からして残薬があるとは思えないのに薬が無くなりそうで再来したという人もいる。少なくとも開封して1ヵ月以上経過した点眼薬は捨てるように指導したい。

2)点眼薬の性質、効能効果と副作用の観点から点眼方法を再考する!
①薬剤ごとに異なる点眼回数
 点眼薬の濃度は、一般に眼内の最高濃度が最少有効濃度の5~6倍程度になるように設定されているが、最少有効濃度までに低下する時間は、薬剤と作用すべき眼組織によってそれぞれ異なる。そのため1日の点眼回数は薬剤ごとに異なっている。1日2回しか点眼できない事情のある人には、1日4回用の薬を2回点眼するよりは1日2回点眼でよい薬剤を選択すべきである。

 アドヒアランスの問題もあり、点眼回数の少い薬が増加、配合剤の開発も進んでいることは喜ばしいことではあるが、点眼回数の少ない薬の中には水に溶けにくく吸収されにくいものがあるので、他剤との点眼間隔や順序に対する配慮が必要である。

②多剤点眼の場合の点眼順序
 水溶性点眼薬同士であれば、より効果を期待したい薬を最後に点眼する。水溶性点眼薬と懸濁性点眼液であれば水溶性を先に点眼する。懸濁性点眼液やゲル化する点眼液は最後に点眼する。

③点眼後両閉瞼、涙嚢部圧迫、2剤以上点眼では5分間隔を間けるという方法が本当にベストか?
 点眼薬が2種類、時に3種類以上処方されることがある。点眼直後にかなりの量の薬が涙嚢に吸い込まれ、さらに点眼の刺激で涙が出て結膜嚢内の薬物濃度は急激に薄まる。点眼直後に50%程度に減少するが3分後でも?%程度は残っているといわれている。結膜嚢内に未だ残っている薬剤を次の点眼薬で洗い出さないために5分位間隔を開ける必要がある。

 全身への副作用の懸念される点眼薬では、薬の効果を高め、副作用を減らすためには、薬が涙嚢に吸い込まれないように工夫する必要がある。これには点眼直後に両眼を閉瞼し、眼と鼻の間の涙嚢の上を指で押さえる方法が推奨されている。演者もβ遮断点眼薬の全身性副作用の回避のため、この方法を追試したことがある。そして、この方法の有効性は確認できたが、同時に、患者自身に行ってもらった経験では、涙嚢部が正確に同定できないために指の動きで涙嚢にポンプ作用が起こり逆効果となるという不確実性も体験している(s遮断剤チモプトール点眼の全身への影響と対策?特に点眼方法について?,眼臨,1198ー1201,1984)。現在、演者自身は両眼の閉瞼のみを指示している。

3)緑内障の点眼薬治療における問題点
・リズモン TG、チモプトールXE、ミケランLA、エイゾプトなど、水に溶けにくく吸収されにくい薬剤の点眼の留意事項は前項で述べた通りであるが、通常は単剤投与されるので問題ない。
・点眼方法に於ける一般的留意点も前項で述べた通りである。
・問題点は、現在第一選択として評価されているプロスタグランジン関連製剤の点眼方法である。

 特に調剤薬局(特にまじめなスタッフの多い薬局)における点眼指導が時に問題になる。眼圧下降の得られない患者にどのように点眼しているか聞き直すと、点眼後まもなく風呂に入り顔を洗っているという人が結構いる。薬局などでかなり強調して説明を受けている例もあるようである。青い目で肌も白い人種と違って日本人ではさほど強調すべき副作用であろうか? 治療の目的を理解して本末転倒にならないような説明を期待したい。

 一方、本剤の無効例があることが知られているためか簡単に他系列の薬剤に切り替えられことも少なくない。しかし、緑内障の治療は一生続く治療である。有力な治療薬を簡単に無効として切り捨ててよいものであろうか? もしかしたら点眼方法が不適切であったということはないか? 再検討する必要を強調したい。

4)薬の名前がわからない(・・・色の薬がほしい)
・患者さんにとって薬の名前を正確に記憶することは至難なことではないか? 一番多いのが青色の薬 が無くなったというような色による情報だが、瓶の色であったり袋の色であったり、キャップの色で あったり、掴みどころがない。我々としては一日4回点眼の薬? 2回の薬? などの質問で絞ってさらに写真や実物を見せて確認するしかないが、後発薬品が際限なく増加するとお手上げになる。

5)後発医薬品とはなにか? 日本の眼科医療における問題点
・日本の後発薬品と欧米のジェネリック医薬品とは異質なものである。欧米のジェネリックは主成分だけでなく添加物なども先発薬剤と全く同じものだが、日本は主成分が同じであれば同じ薬と認めているものである。
・前述した緑内障治療薬の原点ともいえるプロスタグランジン(商品名:キサラタン)を例示する。日本緑内障学会の調査結果では後発薬品が23種類もあった。国の方針にそって今後更に後発薬品の増加が予測されるが、名前も異なれば容器(色)も全く異なる後発薬品による現場での混乱は想像を絶するものがある。
@後発薬品:日本緑内障学会の調査結果 
http://www.ryokunaisho.jp/infomation/data/eyewash_ver3.31.pdf

6)薬の販売申請(適応、薬価、など) 
 有用でも薬が眼科の適応がない薬。保険採用されても適応が狭い薬。高額で眼科医療を圧迫する薬。
 薬剤の製品化、薬価などは製薬、販売会社の経営方針が先行し、ユーザー(医療機関)のニーズにはなかなか答えてくれない現実がある。先発メーカーや後発メーカーで競い合うのではなく、患者のためにどのようにするのが良いか、営利だけでなく、医療の原点に立ち返って検討してほしいと願っている。

略歴

1970年 新潟大学大学院医学研究科修了後、新潟大学文部教官医学部(医学博士)
1973年 新潟市民病院に転任。眼科部長、地域医療部長、診療部長を歴任。
2004年 新潟市民病院定年退職。新潟医療技術専門学校視能訓練士科教授就任。
    にいつ眼科名誉院長、新潟県眼科医会会長として地域医療に係る。
現在は、新潟市江南区ふじい眼科名誉院長、新発田市今井眼科医院顧問

後記

 長い間、新潟市民病院の眼科部長を務められ、新潟県眼科医会会長も歴任された藤井青(ふじい しげる)先生が、眼科医としての50年を振り返り、眼科の疾患の診断と治療の歴史を、問題点も含め丁寧に解説して下さいました。
 70枚を超えるスライドを駆使し、体験してきた約50年間の眼科医療を振り返りながら、素晴らしいこの眼科学の進歩をいかに眼科医療の現場に生かすべきかについてお聞きした貴重な講演でした。いつもながら、豊富な知識と奥深い思慮に感服致しました。
 藤井先生には益々お元気でお過ごし下さい。そして、我々後輩のご指導ご鞭撻をお願い致します。

街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理

報告:第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会 清水美知子

演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士)
日時:平成27年9月9日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
http://andonoburo.net/on/4065

講演要約

 視覚障害がある人の歩行訓練は人々が活動している実環境で行われることに大きな特徴がある。そこで訓練士は視覚障害がある人と街の人、そして双方のインターラクションを観察する。
 南雲(2002)は、障害によってもたらされる心の苦しみには、自分の中から生じるものと、自分と社会の関係から生じるものがあり、前者の苦しみを軽減するためには新たな自分を知り受け入れる「自己受容」が、後者のためには社会が障害者を受け入れる「社会受容」が必要であるとしている。

 私は「街を歩く」ことがこの二つの受容を進めるのに役立つと考えている。視覚障害がある人は、街を歩く自分と自分に対する街の人の態度を観察することを通して自分を再形成する。一方、街の人は視覚障害がある人を見たり言葉を交わしたりすることで、各々の障害者観を形成していく。

「街を歩く」ことは、街の人々(社会)に対して自分をさらけ出すこと(Coming-out)でもある。視覚障害を隠すには、動かなければよい。視覚障害のある人が座って前を見ているだけでは、その人の視覚障害を疑わせる手がかりを見つけるのは難しいが、その人が立ち上がり一歩足を前に踏み出せば、視覚障害の存在を隠すのは難しい。つまり視覚障害のある人にとって街に出ることは、否応のない自己開示なのである。

 街には、見返すことのできない視線、予測できない態度の人々が待ち受けている。そのような好奇な眼の中へ足を踏み出すのは、自分が思っている以上に心の強さが要る。視覚障害によって自尊心が傷つき自信を失っている状況にある人にとっては、さらにその負担は大きい。障害を負った後、自分自身を再形成する段階では、自分を周囲にどう見せようか迷っている状態のため、外には出たいが、自己開示はしたくないという気持
ちになる。足元が見えにくく歩くのに不安を抱えながらも、あたかも眼は悪くないかのように振る舞いがちである。そのため、外出中、白杖を出したり、場所や状況によって折りたたんで鞄の中にしまったりしながら歩く人もいる。社会に対する自己開示のハードルは決して低いものではない。今回の勉強会に参加した盲導犬使用者のひとりが「盲導犬と出かけたら度胸が決まり、乗り越えられないでいた垣根を越えられた」「杖は折りたためるけど、盲導犬は折りたためない」と語ったが、それはこのような状況での話だろう。

 対人関係における自己開示、コミュニケーション、気づき、自己理解などを説明するのに、「ジョハリの窓」というモデルがある。そのモデルでは自分を「公開された領域」「隠された領域」「自分は気づいていないが他人には見られている領域」「自分には他人にもわからない領域」の4つの領域に分けている。障害を負うとそれまで認識していた自己概念や自尊心が壊れ、それを再認識しないと新たな自分を形成できない。自分がよくわからない段階では解放された領域が小さい。例えば、今自分が外を歩いたらどのように歩くか、見えなくなって家から出てない人にはわからない。街に出て自分の歩く姿を人に見せ、見た人のリアクションを受け止めることは、自分自身を知るプロセスとして大切である。そしてそれは同時に街の人の意識を変えることにも役立つ。

 講演後、視覚障害のある参加者(盲導犬使用者5人、白杖使用者1人)に街を歩いているときに経験したことについて質問した。多くの回答は街の人から受けた親切で優しい応対についてであった。そこで、あえて嫌な思いをしたことや辛かった経験についても聞かせてもらった。以下はその一部である。

・突然、汚い言葉や罵声を浴びせられた
・「俺がお前を襲ったら、この犬(盲導犬)はどうする?」と脅された
・帰路、付きまとわれたので、遠回りをして家に帰った。
・「他のお客さんに迷惑なので」とコンビニや飲食店で入店を拒否された
・「見えない者は外を歩くな、見えないのになぜ外を歩く」と言われた
 そのほか、遠慮のない好奇心から質問された、上からの物言いをされた、無視された、避けられた等の経験談が挙げられた。

 一般に障害がある人に対する街の人の態度を決める要因には、知識、接触経験、能力観、価値観、ステレオタイプ、相手の態度などがあるといわれる。当事者の数少ない体験談、テレビ番組で紹介される「がんばる障害者」などが、個々の街の人が時折視覚障害のある人と遭遇したときに示す態度に影響を与えているのであろう。社会の障害者への態度は一朝一夕に変わるものではなく、法で規制できるものではない。街の中での一期一会が、社会の障害観を形成するひとつの要因として機能するものと思われる。

 今回の勉強会で、視覚障害のある人から、移動支援、買物介助、代筆代読、通院介助等、福祉サービスが濃くなることで、視覚障害のある人と街の人との直接的な交流が少なくなってきているのではないかと心配する発言があった。視覚障害のある人の多くは高齢で、加齢に伴う身体機能や認知機能の低下を考えると、同行援護従業者、ホームヘルパーなど福祉専門職との外出機会が増えていると思われる。外出のための支援が、一方では街の人との間の垣根となる側面があることを、サービスを提供する側も利用する側も共にしっかり認識しておく必要がある。

参考資料

・南雲直二(大田仁史監修):リハビリテーション心理学入門−人間性の回復をめざして. 荘道社. 2002
・清水美知子:「Coming-out, 自分になる」、済生会新潟第二病院眼科勉強会. 2002年8
・ジョハリの窓:https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョハリの窓

略歴

1979年~2002年
視覚障害者更生訓練施設に勤務、その後在宅視覚障害者の訪問訓練事業に関わる
1988年~
新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて、視覚障害リハビリテーション外来担当
2002年~
フリーランスの歩行訓練士

参考までに

カミング・アウトに関する清水先生の過去の講演録を、以下に記します。
●報告:第76回(2002‐9月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 清水美知子
日時:2002年9月11日(水)16:00~17:30
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
演題:「Coming out –人目にさらす」
講師:清水美知子 (信楽園病院視覚障害リハビリ外来担当)
http://andonoburo.net/on/4023

●報告:第87回済生会新潟第二病院眼科勉強会 清水美知子
日時:2003年8月20日(水) 16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
演題:「Coming-out Part 2 家族、身近な無理解者」
演者:清水美知子(歩行訓練士)
http://andonoburo.net/on/4030

後記

 清水先生は、障害者の目線でお話の出来る方です。「NBM(Narrative-based Medicine;物語と対話による医療)」とか、「社会受容」ということを最初に教えて頂いたのが清水美知子先生でした。
 当院で開催する講演会や勉強会には清水先生を、ほぼ毎年をお呼びしていますが、先生の講演の日は、いつも多くの視覚障害者の方が出席します。どうしてなのか不思議でしたが、答えが判りました。今回の勉強会に、こんな感想が届きました。「清水先生のお話を聞くと『あるある』とか『そうそう』とか『そうなのよ』とうなづくことばかりで、どうしてそんなに分かるのかなあといつも不思議にさえ思います。でもだからこそ、この人は私達、視覚障碍者のことが分かる人、と安心して心が開けるので人気なのでしょう」。

平成28年度 初期臨床研修二次募集について

マッチング公表後の空き定員に対して、初期臨床研修医二次募集 採用試験を下記の通り行います。

平成28年度 初期臨床研修医 二次募集要項

プログラム名 済生会新潟第二病院臨床研修プログラム
試験日時 平成27年11月29日(日)午前中
会場 済生会新潟第二病院
選考方法 面接・小論文
対象者 第110回医師国家試験を受験し、平成28年度に医師免許取得予定者
申込方法 次の出願書類を下記申込先へ持参又は郵送(簡易書留)
臨床研修申込書(A4)
履歴書(A3)
・卒業証明書または卒業見込証明書
・成績証明書
申込先 済生会新潟第二病院 教育研修センター
〒950-1104 新潟県新潟市西区寺地280-7
TEL:025-233-6161(内線2253)
Eメール:rinken@ngt.saiseikai.or.jp
出願締切日 平成27年11月19日(木)当日消印有効

人生いろいろ、コーチングもいろいろ 高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えること

報告:第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会 立神粧子

日時:平成27年8月5日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院眼科外来
http://andonoburo.net/on/3962

講演要約

1.高次脳機能障害とは

 高次脳機能障害は脳外傷、脳卒中、脳腫瘍などを原因とする器質性の後遺障害である。とくに前頭葉の認知機能の働きに問題が生じる。認知機能とは、①覚醒と周囲への意識と心的エネルギー、②感情をコントロールする抑制と発動性、③注意と集中、④情報処理、⑤記憶、⑥遂行機能と論理的思考力、などの諸機能のこと。これらを下から順番に階層にして示しているのが「神経心理ピラミッド」の図表である。ピラミッドには最下層に“リハビリに取り組む意欲”が置かれ、最上層には“受容”と“自己構築”が置かれている。ピラミッド型が示すように下位の機能が働いていないと上位の機能はうまく機能しない。と同時に、諸機能は連動し相互に作用する。

 脳損傷の特殊性として、脳細胞の欠損は身体の他の臓器と異なり再生しないことが挙げられる。しかも脳の機能はその人固有の人生の学習の記憶によって成り立っている。人それぞれ歩んできた人生が違うので、AさんとBさんとは神経回路のつながり方は全く異なる。本人に障害が残った自覚がない場合や、家族が症状の本質を理解しないために的確な支援ができない場合もある。そのため、症状自体に加え治療の目標も個々で異なり、リハビリは困難を極める。

2.Rusk研究所における脳損傷通院プログラムとは

 夫は2001年の秋に重篤な解離性椎骨動脈破裂によるくも膜下出血を発症し、脳損傷(高次脳機能障害)が残存した。2004〜05の1年間、夫と筆者はNew York大学医療センター・リハビリテーション医学Rusk研究所の「脳損傷通院プログラム」で機能回復訓練を受けた。Ruskの通院プログラムは神経心理学を学問的基盤としたホリスティックなアプローチで、対人コミュニケーションを中心とした療法的プログラムである。20週を1サイクルとする訓練は個々のゴールにあわせて周到に計画され、理論と実践が巧みに組み合わされ構造化されている。訓練生は規則的な訓練の中で、症状の本質の理解と補填戦略を繰り返し学ぶことになる。

 Rusk研究所での夫の訓練が終わるとき、Ben-Yishay博士から「君たちが訓練に成功したのは、君たちが成熟した音楽家で、訓練ということの意味を理解していたからだ」と言われた。このことについて考えてみたい。

3.ピアノを教えるとは

 ピアノを教えるとき、専門家を育てるだけでなく、初心者、子供の情操教育、大人の趣味など、対象者は多岐にわたる。脳損傷が個々のケースで全く異なるように、年齢、習熟度、目的が一人一人異なる。ピアノを教えるということは、Ruskでの訓練と同じように、①多様なゴールを理解する、②個人の特性に合わせて(=相手の脳と心になり)指導する、③その都度ゴールを定めて、技術と考え方の両面からゴールの達成に向け訓練する、④教え込むのではなく自分でできるように導く、⑤ほめて育てる+厳しく指摘する、などを意味する。

 良いピアノの指導者(=コーチ)は、①この上なく音楽を愛する、②情報交換を怠らずよく勉強する、③相手を知ろうとする、④レッスンの目的・方法論を明確にもつ、⑤渾身のレッスンをする、などの資質を持つことが望ましい。指導者は改善すべきところを見つけ、理論的かつ実践的に技術と方法を示す。生徒の側も、主体的にその道の専門家のアドバイスに耳と心を傾け、順応性をもって素直に訓練を受ける態勢になることが大切である。指導の目的は生徒が「自分で自分を改善させる」ことができるようにすること。つまり、自分の音を批評できる能力、悪いところを自分で気づき予防できる能力、様々なテクニック(戦略)を知り自分で使いこなす能力などを、訓練によって身につけさせることである。これらはそのまま高次脳機能障害のコーチングの技術に当てはまる。

4.高次脳機能障害のコーチング

 脳損傷者のコーチングには重要な前提条件がある。第一に、訓練生が落ち着いていて客観的な時にのみコーチングする。イライラしていると抑制困難症を引き起こし、コーチングが逆効果となる。第二に、訓練生が疲れすぎていない時にコーチする。神経疲労を起こしていると、コーチングを受け取る集中力も情報処理力も十分に働かない。第三に、コーチされる側も活発にコーチングを求める意欲を持つ。本人に改善する意志がないと意味がない。

 そして脳損傷のコーチングの原理としては、①ひとつの問題に焦点を当て,選択的であること、②問題は具体的に指摘し、慎重に戦略を選び、具体的に解決策を示す、③良いことも具体的に指摘する、④改善すべきことを良いことの指摘に挟む「サンドイッチ効果」の技法を使ってコーチする、⑤ユーモアを忘れないように、などである。

5.受信情報を確認しながら会話しよう

 例えば、会話の訓練がある。隣の人と会話をしてみよう。その際に、受信情報を確認する〈確認の技〉や、相手の言葉を借りる〈語幹どりの技〉などを使ってみると、発動性のない人も、抑制困難な人も、それぞれの問題にとって助けになる戦略を用いて会話を進める事ができる。戦略を使うことで発動性のない人には発話のきっかけとなり、抑制困難症の人には話の筋道からそれないようにすることができる。

 会話の訓練以外にも、何か動作を覚える時の確認の手順や、日常生活を構造化することで動きの流れを作っていくことなど、症状に合わせてそれぞれの戦略を用いて一歩先のゴールを設定して地道に訓練することで、日常生活をよりスムーズにする事ができる。障害の完治は期待できないが、訓練により戦略を用いる技術を習慣化する事はできる。

6.コーチングの意義

 脳損傷者がこうした技術を身につける事ができれば、家族や周囲の人たちとの共同生活の中でも、自分の存在に価値がある事を自ら感じる事ができる。コーチングの技術、コーチを求める順応性のある心と意欲が双方に求められる。ケアマネージャーやヘルパーさんたちとの連携も必要である。最終的には、自分で自分を改善できる力を持ち、相手との良い関係を再構築できるようにしたい。コーチする人もコーチされる人も、その時の問題にひとつずつ取り組み、落ち着いて訓練してつねに改善することが肝要である。

 音楽の訓練を通じて「訓練」や「技術の獲得」ということの本質を理解していた我々だったので、Ben-Yishay博士は「訓練は成功した」と言及したのだろう。それほど、脳損傷者にとって自分の症状を理解し、それに対する戦略の習得から習慣化に至る地道な繰り返しの訓練が必要、ということである。

略 歴

1981年 東京芸術大学音楽学部卒業
1984年 国際ロータリー財団奨学生として渡米
1988年 シカゴ大学大学院修了(芸術学修士号)
1991年 南カリフォルニア大学大学院修了(音楽芸術学博士号)
2004-05年 NY大学医療センターRusk研究所 脳損傷者の通院プログラム参加
    治療体験記を『総合リハビリテーション』(医学書院)に連載(2006年)
2010年 『前頭葉機能不全その先の戦略』(医学書院)
現在:フェリス女学院大学音楽学部音楽芸術学科教授、音楽学部長、日本ピアノ教育連盟評議員、米国Pi Kappa Lambda会員。

著 書

『前頭葉機能不全/その先の戦略:Rusk通院プログラムと神経心理ピラミッド』
立神粧子著 (2010年11月 医学書院)
医学書院のHPに以下のように紹介されている。
「高次脳機能障害の機能回復訓練プログラムであるニューヨーク大学の『Rusk研究所脳損傷通院プログラム』。全人的アプローチを旨とする本プログラムは世界的に著名だが、これまで訓練の詳細は不透明なままであった。本書はプログラムを実体験し、劇的に症状が改善した脳損傷者の家族による治療体験を余すことなく紹介。脳損傷リハビリテーション医療に携わる全関係者必読の書」
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62912

後 記

 素晴らしい講演でした。ご夫婦で東京芸大出身の音楽家。立神先生はピアノ、ご主人はトランペット。ヤマハ楽器にお勤めだったご主人が「くも膜下出血」を発症。その克服にご夫婦で立ち向かい、ニューヨークで約一年の研修を受け、その後も地道な訓練をひたすらに続け、生活を取り戻した(今でも進行形)壮絶なお話。訓練と戦略のおかげで、絶望的だった夫との生活は奇跡的に改善され、希望が持てる人生を歩みだすことができた。後半ではご主人のユーモア溢れる講演もお聞きした。

 こうした経験から立神先生は、神経心理ピラミッドに則った訓練は、脳損傷リハビリにもピアノ教育にも有効なツールとなっていることに気が付いたという。すべてのリハビリあるいは習い事のいいお手本となるお話を、感動と共に拝聴しました。

 立神先生ご夫婦の健やかなお暮しを祈念致します。この度は、誠にありがとうございました。

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