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『見たい物しか見えない』と『見たい物が見えない』のあいだ

報告:第241回(16‐03月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 (関 恒子)

演題:「『見たい物しか見えない』と『見たい物が見えない』のあいだ」
講師:関 恒子(長野県松本市)
日時:平成28年03月09日(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
http://andonoburo.net/on/4597

講演要約

1) 発症と治療
私は20年前、まず左眼に、その半年後右眼にも近視性新生血管黄斑症と診断され、発症から各々1年後と2年後に黄斑移動術を受けた。左眼は期待した結果が得られず、合併症や再発の為に術後3年間は入院手術を繰り返したが、6年を過ぎた頃漸く安定した。幸い右眼は術後視力が改善し、再発もなかった。しかし現在は両眼共網膜萎縮の進行により0.1~0.2に低下し、目下の悩みは進行しつつある視野欠損である。

私が発症した20年前は黄斑変性症やロービジョンという語はまだ普及しておらず、何の知識もなかったので、視力低下の可能性があることを告げられた時の驚きは非常に大きかった。また今と違って確立した治療法がなかったことが私に二重の打撃を与えた。私がまだ予後不明の黄斑移動術を受ける決意をしたのは、視力の低下を放置することが何よりも辛かったからで、治療が受けられるということは当時私の大きな救いとなった。

2) 私の挑戦
手術によって左眼は新たな視野の欠損や、様々な見え方の不具合が生じたが、右眼は一時期0.7位まで改善し、私の生活を向上させてくれた。目を大切にする為に目を使うのを避ける人もいると思うが、私は改善した視力を有効に使うことを考えた。視力低下を告げられた時、私の最初の恐れは文字が読めなくなる事と外出が困難になる事だった。“再発によって再び視力が低下するかもしれない。それなら見えるうちに大いに読書や外出をしておこう”と私は考えた。私は近くの大学に通って全くの専門外であるドイツ文学を学び、多くの作品を読んだ。外にも出て見えなくなるかもしれない時の為に外界の物を心して目に焼き付けてきたつもりである。

また私は長年フルートのレッスンを受け続けてきたのだが、術後視力が改善したといっても中心近くの暗点の為に並ぶ音符を即座に読み取ることができず、初見の演奏はできなかった。暗点を追い払うように意識して見なければ見えない。読書も拡大鏡や電子ルーペが必要だった。一旦はレッスンを止めることを考えたが、耳で曲を覚え、楽譜は確認に使うことにし、フルートの先生のご理解を得て今も続けている。目が正常だった頃は耳より目を優先させていた為に、自分の音色に耳を傾け心をこめる事がおろそかになっていたことを反省し、目が悪くなったことが上達の妨げになるとは限らないと今では思っている。私にはまだ耳があるとフルートが教えてくれたような気がする。

私が特に意欲をもってしていることに毎年の滞在型海外旅行がある。旅行社のツアーに参加するのではなく、自分で計画し、単身3,4週間滞在するのだが、旅行には少しだけ目的を持たせている。例えば、この3年間は英国に行っているが、アガサ・クリスティやコナン・ドイルをテーマにしたり、英国流の日常生活を体験する為にホームステイをしたりである。この数年特に視力低下した私が海外に出るには当然様々な困難がある。単眼鏡とiPadを駆使しながらの移動はストレスが多いし、正しい乗り物に乗れるか、いつもハラハラしている。標示や看板が見難い為に乗り継ぎに十分すぎる時間をとったり、ネットで購入できる券類は日本国内で取ったり等、現地での困難を避ける為の対策も必要である。近年はユニバーサルデザイン化が進んできていることを各地で実感でき、とても嬉しい。

3) 終わりに
ドイツ文学もフルートも海外旅行も、全てを私は挑戦と思っている。見たい物が見えなくなるその時まで、できるだけ行動の幅を狭めない為に今の自分にどこまでのことができるか挑戦し、自分を試しつつ来たこの十数年は、平凡ではなかったけれど、私にとって決して無意味なものではなかったと確信する。
最後に、見たい物が見えなくなった時にはどうなるのか、演者の拙い問いに温かく答え、教えてくださった障害を持つ参加者の皆様に感謝致します。

略歴

富山大学薬学部卒業。薬剤師。
信州大学研修生を経て結婚。一男一女の母となる。薬品会社勤務。退社。
1996年左眼に続き、右眼にも近視性黄斑症を発症。
1997年と1998年に黄斑移動術を受ける。
松本市在住。趣味:ドイツ文学研究、フルート演奏、英国文化にも憧憬を持つ。

後記

 本勉強会には何名かの方が、数度にわたり講師を引き受けて頂いています。今回の関さんもその中のお一人で、今回が5回目の講演でした。ご自身の経験を理路整然とお話しして下さいます。
 視力悪化が進行していく時の不安、大きな手術を受ける時の決心、見えているうちにしている幾つかの挑戦(ドイツ文学、フルートの演奏、海外旅行)の話は素晴らしいものでした。
 講演後に、関さんが参加された視覚障害の方々に、「どういうときが一番辛かったですか?」「見えなくなってからでも楽しいことはありますか?」という質問をして、その受け答えはとても印象的でした。
 挑戦のお話の続きをお聞きしたいと思いました。関さん、今後ますますご活躍ください。

これまでの講演要約

これまで関恒子さんがお話しして下さった講演要約を以下にまとめました。
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第216回(14‐02月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
演題:「黄斑変性患者になって18年ー私の心の変遷」
講師:関 恒子 (松本市)
日時:平成26年2月12日(水)16:30 ~ 18:00
http://andonoburo.net/on/2512

第187回(11‐09月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会
演題:「患者から見たロービジョンケア―私は何故ロービジョンケアを必要としたのか?」
講師:関 恒子 (長野県松本市)
日時:平成23年9月14日(水)16:30 ~ 18:00
http://andonoburo.net/on/4513

第163回(09‐09月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
演題:「賢い患者になるために 視力障害を伴う病気を告知された時の患者心理、及び医師との関係の中から探る」
講師:関 恒子(長野県松本市;黄斑変性症患者)
日時:平成21年9月14日(水)16:30 ~ 18:00
http://andonoburo.net/on/4521

第135回(07‐06月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会
演題:『「見える」「見えない」ってどんなこと? 黄斑症患者としての11年』
講師:関 恒子(患者;松本市)
日時:平成19年6月13日(水)16:30 ~ 18:00
http://andonoburo.net/on/4530

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