『済生会新潟第二病院眼科 市民公開講座2006』 済生会新潟第二病院眼科では、毎年どなたでも参加できる講演会を開催しています。 今年も多くの皆様の参加をお待ちしております。 日時:平成18 年11 月11 日(土) 16:00〜18:00 場所:済生会新潟第二病院10 階会議室 参加無料 16:00〜「失明の体験と現在の私」 西田稔(NPO『眼炎症スタディーグループ』理事長) 17:00〜「シルクロード病(ベーチェット病)からの贈り物」 西田朋美(眼科医、聖隷横浜病院) 18:00 講演終了 『お父さんの失明は私が治してあげる―娘の顔も知らないお父さん、だから私は眼科医になりました』(主 婦の友社)という本をご存知でしょうか?今回はその父娘を新潟にお招きして、お話をうかがう事にしました。 期待してご参加下さい。 ******************************* 『事前申し込み』 会場の準備の都合上、事前申し込みを行ないます。 【記入事項】 『済生会新潟第二病院眼科講演会 参加申し込み』と記載し、 『氏名、所属、連絡先住所(郵便番号)、Fax 番号、メールアドレス』 を記入して下さい。 注)電話での申し込みは、受け付けませんのでご注意下さい。 【申し込み先】 済生会新潟第二病院眼科 市民公開講座係り 郵送の場合 950-1104 新潟市寺地280-7 Fax の場合 Fax 025-233-6220 メールの場合 gankando@sweet.ocn.ne.jp *個人情報は、講演会についての連絡のみに利用します。 個人情報がそれ以外に利用されることはありません。 **連絡先********************************* 済生会新潟第二病院眼科 市民公開講座係り 住所 950-1104 新潟市寺地280-7 Fax 025-233-6220 メール gankando@sweet.ocn.ne.jp ***************************************** 以下に、講演抄録を紹介致します。 ******************************* 「失明の体験と現在の私」西田稔(NPO『眼炎症スタディーグループ』理事長) 私は25 才でベーチェット病を発病した。入退院を繰り返しいろいろな治療を行った が、28 才のときには視力は右0.01、左失明となり、回復の見込みがないことがわかっ た。絶望のどん底に落ちて悶々とした生活を送っていた時に、母の「失明を貴重な体 験と思い、それを生かした仕事をして社会的に貢献しなさい。」という言葉に刺激さ れ、その後盲学校や中途失明者更生施設の教員となり後進の指導にあたった。退職後 はシルクロード沿いのベーチェット病患者とも集いを通して交流を深め、医薬品の援 助などによって小さいながら支援を続けている。その支援組織が「NPO 法人眼炎症ス タディーグループ」であり現在会員数も73 名となっている。私たち法人の活動を理解 してくださる団体や個人も徐々に増え、少しずつ活動内容も整ってきているのが現状 である。今回は、私のこれまでの体験を中心にお話させていただければと思っている。 【講師略歴:西田稔】 西田稔(NPO『眼炎症スタディーグループ』理事長) 1932 年 福岡県生まれ 1956 年 大分大学経済学部卒業 同年福岡県小倉市役所(現、北九州市)就職 1957 年 ベーチェット病発症 その後入退院を繰り返し失明 1961 年 国立東京光明寮入寮 1963 年 日本社会事業学校専修科入学 1964 年 光明寮と専修科同時卒業 同年大分県立盲学校教諭 1972 年 国立福岡視力障害センター教官 1984 年 同センター教務課長 1992 年 同センター退職 1994 年から1998 年まで 国立身体障害者リハセンター理療教育部講師 2000 年 第1 回国際シルクロード病(ベーチェット病)患者の集い 組織委員会副会長 2001 年 NPO(特定非営利活動)法人眼炎症スタディーグループ理事長 その他 「お父さんの失明は私が治してあげる」主婦の友社 「寒紅」遺句集 ダブリュネット社 「小春日和」川柳、俳句、短歌集 いのちのことば社 映画「解夏」取材協力 「シルクロード病(ベーチェット病)からの贈り物」西田朋美(眼科医、聖隷横浜病院) ベーチェット病は、私にとって一番身近な存在だった。物心ついたときからベー チェット病で視力を奪われた父が目の前にいた。幼少時から、ベーチェット病という 言葉は私の頭の中でしっかりとインプットされた。それと同時に、ベーチェット病は 私にとって敵になった。この敵に立ち向かうには、医者になるしかないと思い、幸か 不幸かそのまま医学部に進学し、眼科医になった。医学部の最終学年時、たまたま友 人に当時横浜市立大学に赴任されていた大野重昭教授(現、北海道大学大学院教授) がベーチェット病を専門とする眼科の教授だということを教えてもらい、大野教授の 教室の大学院生になることが決まった。大野教授には、ベーチェット病の研究から米 国留学、さらには第1 回国際シルクロード病(ベーチェット病)患者の集いの事務局 長まで大変貴重な機会を次々と与えていただいた。現在、私は大学を離れ、聖隷横浜 病院という横浜市内の病院で勤務を始めて2 年目になる。新しい場所で、ロービジョ ン外来の充実化にコメディカルのメンバーと一緒に取り組んでいる。ロービジョン外 来には、ベーチェット病のみならず、糖尿病網膜症、網膜色素変性症、加齢黄斑変性 症など、さまざまな病気が原因で低視力となった患者さんが対象となる。この仕事に は、幼い時から父を通じて私自身が体験してきた視覚障害者との触れ合いが大変役に 立っている。また、国際患者の集いを通じて、国際的にベーチェット病の研究者や、 患者組織との交流を持つことができている。これらひとつひとつを考えると、私の敵 であるベーチェット病は、むしろ私に贈り物をたくさん授けてくれているのではない か?と考える今日この頃である。 【講師略歴:西田朋美】 西田朋美(眼科医、聖隷横浜病院) 1966 年 大分県生まれ 1991 年 愛媛大学医学部卒業 1995 年 横浜市立大学大学院医学研究科(眼科学)修了 1996 年 米国ハーバード大学医学部スケペンス眼研究所リサーチフェロー 1999 年 済生会横浜市南部病院眼科医員 2000 年 第1回国際シルクロード病(ベーチェット病)患者の集い 組織委員会事務局長 2001 年 横浜市立大学医学部附属市民総合医療センター眼科助手 2002 年 横浜市立大学医学部眼科学講座助手 2004 年 横須賀共済病院眼科医師 2005 年 聖隷横浜病院眼科主任医長 その他 「お父さんの失明は私が治してあげる」主婦の友社 映画「解夏」医事監修 参考: 「お父さんの失明は私が治してあげる 〜娘の顔も知らないお父さん、だから私は眼科医になりました」 著者:西田朋美・西田 稔・大野重昭 発行:主婦の友社 定価:本体1700円(税別) ベーチェット病で30歳で失明された西田稔氏。父を支える母のため、父の目に再 び光をと眼科医を志した娘、西田朋美氏。ご家族の絆と、ベーチェット病への思い、 障害を持って生きる意味についてつづられています。また、ベーチェット病の研究を されている北海道大学大学院研究科視覚器病学分野教授の大野氏が病気の謎を追って 世界中をまわられた過程から、ベーチェット病をわかりやすく解説してくれています。 ベーチェット病の人もそうでない人も、生きると言う意味を考えている人に、是非 読んでいただきたい一冊です。 尚、この本の売上の一部は眼疾患患者の為のNPO 法人設立の為に寄付されます。 参考: 注)NPO『眼炎症スタディーグループ』 http://hw001.gate01.com/ganen/et_cetera/column_site.html