公開講座 報告1 「高次脳機能と視覚の重複障害を考える〜済生会新潟シンポジウム」  高次脳機能障害は、交通事故や転倒などによる外傷性脳損傷や脳血管障害・脳腫瘍・脳炎・低酸素性脳 症などの疾患により発症します。脳の一部が損傷を受けることで、記憶、意思、感情などの高度な脳の機 能に障害が現れる場合があります。このような障害を高次脳機能障害といい、外見上障害があることがわ かりにくく、一見健常者との見分けがつかない場合もあり、そのため周囲の理解を得られにくいといった 問題もあります。障害の程度によっては本人ですら気づかないということもあり、そこにこの障害の難し さがあります。  去る2月5日(土)午後、真冬の新潟に全国11都府県から120名が集い、外の寒さを吹き飛ばすような熱 気に包まれ、公開講座「高次脳機能と視覚の重複障害を考える〜済生会新潟シンポジウム」を、盛況のう ちに終了することが出来ました。この度、講師の先生に講演要旨をしたためて頂きましたので、ここに報 告させて頂きます。  報告1は、特別講演の佐藤正純先生と、教育講演1の仲泊聡先生の講演要旨です。  公開講座「高次脳機能と視覚の重複障害を考える〜済生会新潟シンポジウム」   日時:2011年2月5日(土) 開場14:30 開始15時〜終了18:00   会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 【公開講座プログラム】  14:30 開場  機器展示   15:00〜特別講演   座長:永井 博子(神経内科医;押木内科神経内科医院)     演題:「重複障害を負った脳外科医 心のリハビリを楽しみながら生きる」     講師:佐藤 正純 (もと脳神経外科専門医;横浜市立大学付属病院                医療相談員:介護付有料老人ホーム「はなことば新横浜2号館」)  16:10〜教育講演   座長:安藤 伸朗 (眼科医;眼科医済生会新潟第二病院)   1)演題:高次脳機能障害とは?      講師:仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院;眼科医)   2)演題:「高次脳機能障害と視覚障害を重複した方へのリハビリテーション」     講師:野崎 正和 (京都ライトハウス鳥居寮;リハビリテーション指導員)   3)演題:「前頭葉機能不全 その先の戦略          〜Rusk脳損傷通院プログラムと神経心理ピラミッド 〜     講師:立神粧子 (フェリス女学院大学)  17:30 討論  18:00 終了 参加者全員で会場の後片付け 特別講演   座長:永井 博子(神経内科医;押木内科神経内科医院) @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@  演題:「重複障害を負った脳外科医 心のリハビリを楽しみながら生きる」  講師:佐藤 正純 (もと脳神経外科専門医;横浜市立大学付属病院              医療相談員:介護付有料老人ホーム「はなことば新横浜2号館」) 【講演要旨】  障害を負うまでの私は概ね順調な人生を送ってはいましたが、それでも秀才揃いの受験校に入学して自 身の限界を見せ付けられた挫折、国立大学医学部に入学するまでの1年間の浪人生活、その在学中の父の 早世など、若いうちに抗えない運命に立ち向かうための心の鍛錬をする機会があったのは幸せだったのか もしれません。  横浜市大救命救急センターに医局長として勤務して、多くの患者さんの生死に立ち会ったことから、医 療の限界と医のあずかり知らぬところで神に支配されている人の生死を実感したことは、私の死生感にも 大きな影響を与えました。  脳挫傷による1か月の昏睡から覚醒した時、友人はおろか家族の顔も確認できないほど視覚は失われ、 太陽が東から昇ることも1年が365日であることも忘れているほど記憶は失われていたのに、ピアノの前で は指が自然に動いてジャズのスタンダードナンバーが弾けたことは残存能力の証明となり、心の支えにも なりました。  視覚と高次脳機能の重複障害への適切な対応がされないまま社会復帰は不可能と判断されてリハビリセ ンターを退院しましたが、「これ以上、何をお望みですか?」と言われて、それを挑戦状と感じて自らの リハビリプログラムを立て始めたことが自立に繋がったようです。  私にとってのリハビリテーション、すなわち全人間的復権の根本は、働き盛りの37歳で障害を負った自 分がこのままで社会復帰もできずに人生を終えたくはないという人生の哲学、そして、自身のそれまでの 技術と人脈を生かすとすれば、医学知識と臨床経験を生かした教育職で社会復帰を目指すべきではないか という目的。最後にその目的を達成する手段として音声読み上げソフトと通勤のための独立歩行の技術が 必要と気づいてその訓練の場所を探したことが社会復帰に繋がりました。特にパソコンに記憶された情報 を読み直す反復訓練は脳の可塑性をもたらして記憶障害の克服に役立ちました。  受傷6年後に教壇に上がって最初の講義を終えた時、生きていて本当によかったと思えた自分は、そこ でリハビリテーション(人間的復権)の一段階を達成して初めて障害受容もできたのだと思っています。  私が今まで精神的な支えとしてきたことは、諦めるのではなく明らめる(障害を負った今の自分の可能 性を明らかにする)こと。リハビリの内容を音楽や鉄道マニアといった自分の趣味などの楽しみに結びつ け、小さな結果の達成を喜んでリハビリを楽しむように心がけたこと。過去の自分を捨てて新しい自分を 構築するのではなく、過去の経験と現在の可能性を重ね着して豊かな人生(重ね着人生)を築けば良いと 思ったこと。瀕死の重傷から神様の導きで生かされた自らを『Challenged』(挑戦するよう神から運命づ けられた人)と信じて、自分に与えられた仕事は神様から選ばれて与えられた試練と考えて決して諦めな いと誓ったこと、などです。  これからも医師は一生勉強、障害者は一生リハビリと唱えて、常に楽しみと結びつけ、達成感も確認し て心のリハビリを楽しみながら、より高い復権を目指した人生を進んで行きたいと思っています。 【佐藤正純先生の紹介】  1996年2月、横浜市立大病院の脳神経外科医だった佐藤正純先生(当時;37歳)は、医者仲間と北海 道へスキー旅行に行った。スノーボードで滑っていて転倒、頭部を強打し意識不明、ヘリで救急病院に運 ばれた。頭部外傷事故で大手術の末、1ヶ月後に奇跡的に意識を取り戻した。しかし、待っていたのは、 皮質盲(視覚障害)、記憶障害(高次脳機能障害)、歩行困難(マヒ)という三重苦であった。  趣味の音楽を手始めに懸命なリハビリを続け、6年後の2002年、三重苦を乗り越え医師免許を活かし て、医療専門学校の非常勤講師として再出発した。今でもリハビリを重ねながら講師以外に、重度障害を 負った障害者のリハビリ体験について語る講演活動を行い、さらには横浜伊勢佐木町のジャズハウス 「first」で健常者に交じってジャムセッションのピアニストとして参加している。  「障害を負ったからといって人生観を変える必要はありません。昔の自分に新しい自分を重ね着すれば いい。1粒で2度美味しい人生を送れて幸せです。」と佐藤先生は語る。   参考:http://www.yuki-enishi.com/challenger-d/challenger-d19.html 【略歴】  佐藤正純 (さとう まさずみ)  1958年6月 神奈川県横浜市生まれ  1984年3月 群馬大学医学部医学科卒業、       4月 横浜市立大学付属病院研修医  1986年6月 横浜市立大学医学部脳神経外科学教室に入局           神奈川県立こども医療センター、横浜南共済病院、           神奈川県立足柄上病院の脳神経外科勤務を経て  1992年6月 横浜市立大学救命救急センターに医局長として2年間勤務  1996年2月 横浜市立大学医学部付属病院脳神経外科在職中にスポーツ事故で重度障害  1999年12月 横浜市立大学医学部退職  2002年4月 湘南医療福祉専門学校東洋療法科・介護福祉科非常勤講師として社会復帰  2007年4月 介護付有料老人ホームはなことば新横浜2号館医療相談員として復職           湘南医療福祉専門学校救急救命科 専任講師           筑波大学附属視覚特別支援学校 高等部専攻科理学療法科 非常勤講師           神奈川県立保健福祉大学 保健福祉学部 リハビリテーション学科 ゲスト講師    などを兼任して現在に至る。  ・視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)副代表    http://www.yuimaal.org/   杉並区障害者福祉会館障害者バンド「ハローミュージック」バンドマスター *ご感想やご質問などをお待ちしております。   お名前とご所属を添えて以下のアドレスまでお寄せ下さい。    佐藤正純E-mail masazumisato@b01.itscom.net 教育講演   座長:安藤 伸朗 (眼科医;済生会新潟第二病院) @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 1)演題:高次脳機能障害とは?    講師:仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院;眼科医) 【講演抄録】  1. 高次脳機能障害の定義  学術用語としての高次脳機能障害は、脳損傷で生じる認知・行動・情動障害全般を指し、記憶障害・社 会的行動障害・遂行機能障害・注意障害という高頻度で生活へ影響が特に大きい主要症状の他に半側空間 無視・失語症・失行症・失認症などがある。その特徴の一つとして病識の欠如があり、これがさらに社会 生活復帰への支障を大きくしている。一方、行政用語としての高次脳機能障害は、学術用語で挙げた症状 に以下の条件がつく。  1) 実際に日常生活または社会生活に制約がある  2) 脳損傷の原因となる事故による受傷や疾病の発症の事実が確認されている  3) 先天疾患・周産期における脳損傷・発達障害・進行性疾患を原因とするものは除外  4) 身体障害として認定可能な症状を有するが主要症状を欠く者は除外(たとえば、失語症だけでは、 音声・言語・咀嚼機能障害に入るため除外される)  高次脳機能障害者支援の手引き(改訂第2版)には診断基準が記されている。これは国リハのホーム ページから申込書ダウンロードが可能だ。  (http://www.rehab.go.jp/ri/brain_fukyu/kunrenprogram.html)  2. 主要症状  1) 記憶障害  ・物を置いた場所を忘れたり同じことを何回も質問するなど、新しいことを学 習し、覚えることがむ ずかしくなる  ・社会生活へ復帰する際の大きなハードルとなってしまうことが少なくない  2) 社会的行動障害  ・すぐに他人を頼るような素振りをしたり子供っぽくなったりする  ・我慢ができず、何でも無制限に欲しがる  ・場違いの場面で怒ったり笑ったりする  ・一つのものごとにこだわって、施行中の行為を容易に変えられず、いつまでも同じことを続ける  3) 遂行機能障害  ・行き当たりばったりの行動をする  ・指示がないと動けない  これは、目標決定、行動計画、実施という一連の作業が困難になることで、すなわち、見通しの欠 如、アイデアの欠如、計画性・効率性の欠如ということができる。  4) 注意障害  ・気が散りやすい  ・ 一つのことに集中することが難しい   そもそも注意とは何か。これは「意識内容を鮮明にするはたらき」と説明されている。対象を選択す る。選んだ対象に注意を持続する。対象以外へ注意を拡大する。対象を切り替える。複数の対象へ注意を 配分するなどが注意のはたらきだ。注意障害の患者を眼科で診るときは、以下の配慮を要する。  ・ほとんどの眼科検査で集中力が不足して十分な検査ができないことが多い  ・視力検査は短時間で一回の検査を終え、日を替えて続きを行なうのがよい  ・視野検査では眼疾患が存在しなくても全体的な沈下をきたすことがある  3. 他の高次脳機能障害の症状  1) 半側空間無視  ・自分が見ている空間の片側を見落としてしまう障害  ・食事で片側のものを残したり片側にあるものにぶつかったりする  ・線分二等分試験や模写課題などで検査される  2) 失語症(行政用語としては高次脳機能障害に入らない)  ・うまく会話することができない  ・その中には、単に話すことができなくなることだけでなく、人の話が理解できない、字が読めない、 書けないなどの障害も含まれている  ・音声・言語・咀嚼機能障害の3級または4級に入る  3) 失行症  ・動作がぎこちなく、道具がうまく使えないなど、手足は動くのに、意図した 動作や指示された動作 ができない  ・マッチを擦って煙草に火をつけるといったような系列を有する行為を意図的 に行うことができなく なる  4) 失認症  ・視覚失認…物全般がわからない  ・純粋失読…文字がわからない  ・相貌失認…顔がわからない   失認症は、症状が視覚に関わることが多いため、患者自らが眼科を受診する。いわば、視覚の高次脳 機能障害ということもでき、ロービジョンの範疇に入るものと思われる。しかし、その対策は一筋縄では いかない。   まして、高次脳機能障害の主要症状に視覚障害が重なったら、その対応はさらに困難であるというこ とは明らかである。今後の検討が望まれている。 【略歴】  1989年3月 東京慈恵会医科大学医学部医学科卒業  1991年4月 同大学眼科学講座助手  1995年7月 神奈川リハビリテーション病院眼科診療医員  2003年8月 東京慈恵会医科大学医学部眼科学講座講師  2004年1月 Stanford大学留学  2007年1月 東京慈恵会医科大学医学部眼科学講座准教授  2008年2月 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院第三機能回復訓練部長  2010年4月 国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部長