済生会新潟第二病院眼科 市民公開講座2007』    当院眼科では、毎年どなたでも参加できる講演会を開催しています。  今年も多くの皆様の参加を、お待ちしております。    日時:平成19年11月11日(日) 10時〜12時半    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室    参加無料    プログラム   10:00〜特別講演    「見えているからといって安心できない眼の病気」     櫻井真彦(教授;埼玉医科大学総合医療センター 眼科)    11:00〜シンポジウム     「患者として思う、患者さんを想う」     稲垣吉彦(患者;有限会社アットイーズ 取締役社長、千葉県)     荒川和子(看護師;医療法人社団済安堂 井上眼科病院、東京)     三輪まり枝(視能訓練士 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院)   12:30 終了 **********************************  『事前申し込み』    会場の用意の関係もあり、事前登録制です。    定員(110名)になり次第、申し込みを打ち切りにさせて頂きます。  【記入事項】    『済生会新潟第二病院眼科講演会2007 参加申し込み』と記載し、    『氏名、所属、職業』を、記入して下さい。  【申し込み先】    済生会新潟第二病院眼科 市民公開講座係り  【申し込み方法】     郵送の場合 950-1104 新潟市西区寺地280-7      Faxの場合  Fax 025-233-6220     メールの場合  gankando@sweet.ocn.ne.jp   注)電話での申し込みは、受け付けませんのでご注意下さい。   *個人情報は、講演会についての連絡のみに利用します。    個人情報がそれ以外に利用されることはありません。 ********************************** 【略歴と抄録】  『特別講演』 「見えているからといって安心できない眼の病気」    櫻井真彦(教授;埼玉医科大学総合医療センター 眼科)    講師略歴    1986年 東京大学医学部医学科 卒業        東京大学医学部 眼科学教室 入局   1989年 医療法人社団済安堂 井上眼科病院へ出向   1995年 学位取得(医学博士)   1996年 医療法人社団済安堂 井上眼科病院 副院長   1997年 東京大学医学部附属病院 分院 眼科講師   1999年 東京大学医学部附属病院 眼科講師   2002年 埼玉医科大学総合医療センター 眼科助教授   2004年 埼玉医科大学総合医療センター 眼科教授   現在に至る    埼玉医科大学総合医療センター ホームページ   http://www.saitama-med.ac.jp/kawagoe/   抄録 人は情報の80%を目から得ているといわれています。「もしも今、自分の目が見えなくなった ら…」と考えてみて下さい。もしそうなると今までどおりに仕事をすることも、新聞を読んだ り、テレビを見たりすることも、一人で歩いたり、食事をしたりすることもできなくなりま す。そのような意味では私たちにとって目は命の次に大切なものではないでしょうか。このよ うに考え、我々眼科医も皆様の目を守るため、日夜、診療に手術に心血を注いでおります。 しかし、現実にはこの医療の進歩した我が国においても年間約16000人もの方々が人生の中途 で失明するという不幸な事態に陥っているのです(1994年厚生省調査)。現在、中途失明の原 因としても最も多いのが糖尿病網膜症(17.8%)、二番目が緑内障(12.8%)です。この二つの疾 患はいずれも自覚症状に乏しいため、初期の頃のみならず、かなり病状が進行した状態でも患 者さん本人は気づきにくいという特徴を有しています。このため患者さんが目の異変に気づ き、眼科を受診される頃には失明の一歩手前にまで病状が進行している場合も少なくありませ ん。また、これらは、一旦悪くなってしまってからでは、どんなに手を尽くして治療しても低 下した視機能を回復することができない病気でもあります。しかし、早期に発見、治療を開始 し、中断することなく適切な治療を続けていけば多くの場合は失明を防ぎ、ある程度の視機能 を保てる可能性がある病気でもあるのです。このような特徴を有する疾患ですから、これらに よる視機能低下、さらには失明といった最悪の事態を避けるための対策としては早期発見・早 期治療しかありません。 では、どのようにしたら早期発見できるのでしょうか。前述のように、これらの疾患では相当 進行するまでは視力低下等の自覚症状には表れないため、自覚症状に頼っていては早期発見ど ころか手遅れになってしまいます。また、残念ながら現状では市町村や企業で行われる一般の 健康診断にはこれらの発見につながる眼圧検査や精密な眼底検査は含まれていません。したが って、早期発見のためには糖尿病の気があると言われている方はもちろん、そうでない方も節 目節目に眼科での検診を自ら積極的に受けていただく必要があるのです。 また広く一般の方々に、病気に関する正しい知識を持っていただくことも重要と考えられま す。そこで今回はこの二つの疾患についてお話させていただきます。 **********************************     『シンポジウム』  「患者として思う、患者さんを想う」 稲垣吉彦(患者;有限会社アットイーズ 取締役社長、千葉県)   略歴    1964年 千葉県出身   1988年 明治大学政治経済学部経済学科卒業後、株式会社京葉銀行入行。   1996年 視覚障害のため同行を退職、筑波技術短期大学情報処理学科入学。    卒業後、株式会社ラビットで業務全般の管理、企業・団体向けの営業を担当。    杏林大学病院、東京大学医学部付属病院、国立病院東京医療センターの    ロービジョン外来開設時に、パソコン導入コンサルティングを行う。   2005年会社都合により、株式会社ラビット退職。   2006年有限会社アットイーズ設立。   同年8月に「見えなくなってはじめに読む本」を出版。   現在、主に視覚障害者や高齢者を対象に、パソコンをはじめとした各種デジタル機器の販 売・サポートを主要業務とする会社(アットイーズ)を経営。また自らの経験を活かして中途 視覚障害者のピアカウンセリングや、就労継続のためのコンサルティングなども行っている。   参考:   プロフィールURL http://www.kigaruni-net.com/k01-1.html   著書紹介URL http://www.kigaruni-net.com/k01-2.html   抄録 私がぶどう膜炎原田病という病気を発症して、今年でちょうど15年になる。この病気を発症す る以前は、ほとんど病気には縁のない生活を送っていた私は、発症当時、自分自身が視覚障害 者になることなど微塵も考えることはなかった。炎症が強いときには、自分でもちょっと見づ らさを感じるものの、炎症が少し治まれば見え方は発症前と何ら変わらず、仕事を含め日常生 活に何の影響もありはしない。それだけに、当然完治するものと思いこんでいたのである。 ところが、目の炎症は強まったり、弱まったりを繰り返しながら、着実に慢性化し、その治療 過程で続発性緑内障をも併発した。緑内障発症後は、加速度的に視力は落ち、原田病発症から 3年を過ぎた頃には、身体障害者手帳を手にする結果となってしまった。 今振り返れば、原田病発症以来、私の目を診察した何人もの医師が、共通して眼圧の上昇を恐 れていたように思う。しかしながら、無知で鈍感な患者であった私は、それなりに見えていて 日常生活に特別不都合を感じなかったこともあり、医師からの遠回しな警告をそれほど深刻に は感じられなかったのである。そんな鈍感な私でさえ、緑内障の悪化で、日に日に見えなくな ってきたことを実感できるようになると、そこに至ってはじめて恐怖心を覚えた。とにかく手 術さえできれば元通りに見えるようになると思いこみ、いくつもの病院を渡り歩き、手術して くれる医師を探した。私を診察してくれた医師は、みな共通して炎症が治まらなければ手術は できないという所見を繰り返した。結果として、視野は日に日に欠けていき、元通りには見え るようにならない状況になってしまったのである。 その事実を、無知な患者でもきちんと理解できるように、的確かつ丁寧に説明してくれたのが 桜井医師である。その告知は、自分の目の状況が最悪の方向に向いていることを薄々感じてい た当時の私にとって、まさに死刑宣告に等しいほど、残酷な告知であった。しかし桜井医師 は、現状の告知と同時に、今取り得る治療の選択肢を私に提示し、時間をかけて丁寧に説明し てくれた。その説明の裏に、医師としての強い自信のようなものを感じ、私の中で桜井医師に 対する強い信頼感が生まれた。今でもわずかながら視力が残っているのも、この桜井医師との 出会いがあったからこそと、感謝の念は尽きない。 その後、1、2ヶ月に1回程度の受診を続けている私は、自分の病気がどのようなもので、そ の状態が今どうなっているのか、常に把握できている。仕事柄、医師をはじめ看護師や視能訓 練士など医療スタッフとの交流も多いこともあり、目の病気に関する知識もかなり増えた。知 識が増えても見えない事実に変わりはないが、知識が増えるにつれて、見えないことに関する 余計な不安感は徐々に解消されていった。 こんな私が今一人の眼科患者として思うことは、まず第一に、治せる病気であれば確実に治し てほしいということである。そしてもしその病気が治らない病気であるとしたら、その事実を 可能な限り早いタイミングで明確に伝えてほしい。さらにその告知をするのであれば、その時 点で取り得る選択肢を、リスクを含め、的確に伝えてほしい。症状が安定し、経過観察の時期 に入ってからは、病気の状態を常に患者自身が把握できるような情報を、受診の都度教えてほ しい。不幸にして障害が残ってしまった場合は、その障害と共に生きていく、もしくはその障 害を補うための情報を提供してほしいということである。 目だけの病気で、死に至る病気はないという。だとすると、人生半ばで視覚に障害を負った多 くの患者は、その障害とうまくつきあいながら生きていく必要がある。そのためには医療、教 育、福祉など、多岐にわたる情報が必要なのではないだろうか。今回のシンポジウムでは、一 人の患者としてこのような提言をさせていただき、参加者のみなさまと、様々な角度から幅広 い意見交換ができればと思う。   荒川和子(看護師;医療法人社団済安堂 井上眼科病院、東京)   略歴    1954年 福島県出身   1976年 聖マリアンナ高等看護学院卒業後、        聖マリアンナ医科大学病院外科病棟勤務   1980年 結婚のため退職   1981年 北里大学病院外科病棟に入職、その後眼科病棟に移動、       外来勤務を経験後、眼科病棟に戻り11年間眼科看護に携わる   2002年 北里大学病院退職   2002年 井上眼科病院入職 看護部長となる。   執筆; 「中途視覚障害者のストレスと心理臨床」銀海舎 編集 「中途視覚障害者に対する眼科アプローチの現況(看護師としての視点から)」   眼瞼・顔面けいれん友の会のアドバイザー     現在に至る    医療法人社団済安堂 井上眼科病院  ホームページ    http://www.inouye-eye.or.jp/hospital/index.html   抄録 私と眼科看護のはじまりは27年前です。子供が生まれて外科病棟での勤務では難しいかもし れないと思っていた時、眼科病棟への移動がありました。 眼科病棟での仕事は、点眼に始まり点眼に終わるというほど、患者さんへの点眼介助や実地で 点眼の仕方を指導することでした。また、その当時は白内障の手術後や網膜剥離の手術後の患 者さんはベッド上の安静が厳しく強いられていましたので、安静のためにトイレに行けない患 者さんの排泄介助、入浴できない患者さんへの清潔ケアも多くありました。 眼科病棟に移動後まもなく、患者さんから、突然談話室でしかられるということがありまし た。「お前に俺の気持ちの何がわかるんだ!」というのです。眼の具合はいかがですか?と聞 いたときの出来事でしたから大変驚きました。そのとき、先輩看護師が「Aさんは視野障害が進 んでいて、仕事ができなくなるかもしれないとイライラしているのよ」と言いました。眼科の 患者さんは見た目では何もわからないということ、そして視力ではなく、一人一人の見え方と いうものを初めて意識しました。このときの体験から後に、患者さんと家族の方の気持ちのす れ違いは容易起こり、家族の方は患者さんを理解したくても理解できないジレンマがあること を知りました。 6年前から現在の井上眼科病院に勤務するようになりましたが、なぜ私が大学病院を退職して 今の病院に就職したのかといいますと、現病院長の若倉雅登先生の考え方に強く共感したから です。先生の専門は神経眼科です。先生は難しい病気の患者さんとの出会いの中で「病気を治 せるという視点だけではない、治せないこともあるんだ」という限界を知ったそうです。そし て、その一つの答えとして「失明はおわりじゃない、目が見えなくなっても自分もそして周り の人も一緒になって生きていかなくてはならない。だから、視覚障害の方々に対してはもっと もっと手を差し伸べていかなければならない。心理的にも、社会的にも」と教えてくださいま した。私はこの言葉により、定年までの残りの看護師生活を眼科看護に取り組みたいと思い、 専門病院である井上眼科病院に就職しました。 私もたくさんの患者さんと出会い、視力を失うということが私にもわからないことで看護では 何も解決にならないと思い、燃えつき症候群のようになったこともありますが、患者さんのた くましさに勇気付けられて今日にあると思っています。今回の講演では、事例を通して看護の 現場で日々感じていることについてお話をさせていただきたいと思います。  三輪まり枝(視能訓練士 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院)   略歴  1985年 日本ルーテル神学大学キリスト教社会福祉コース 卒業      (現 ルーテル学院大学) 1986年 国立小児病院附属視能訓練学院 卒業 1986年 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院      眼科 第三機能回復訓練部 視能訓練士として勤務 2006年 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院      眼科 第三機能回復訓練部 視能訓練士長    現在に至る 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院  ホームページ http://www.rehab.go.jp/hospital/japanese/index.html   抄録 「どんなことで困っていらっしゃいますか?」 ロービジョンクリニックに訪れた患者さんと対面する時に、そうお尋ねすることからロービジ ョンケアが始まります。 眼科での治療を受けても、残念ながら「見えにくさ」が残ってしまわれた患者さんに対して、 「メガネの度数は合っているか?」「コンタクトの適応は?」「ご希望に合った拡大鏡の種類 は?」など、「視能訓練士である私が出来ることは何だろうか」ということを患者さんのお話 を伺いながら、自問自答する瞬間でもあります。 そうした拡大鏡の選定場面で私が心がけていることは、患者さんのニーズ(こうしたい、こう してほしいというご要望)をお聞きする際に、「もし、患者さんが私や家族だったら?」とい う想いで臨むことです。そして、患者さんがどのような見え方をしているかという点につい て、視機能検査の結果を元に、患者さんとご一緒に具体的に把握していく課程が大切であると 考えています。 今回ご一緒する稲垣さんに対してはどのようなケアをさせていただいたかということも含めな がら、実際の拡大鏡の選定方法についてお話したいと思います。      **連絡先*********************************    済生会新潟第二病院眼科 市民公開講座係り       住所 950-1104 新潟市西区寺地280-7       Fax  025-233-6220       メール gankando@sweet.ocn.ne.jp    *****************************************