済生会新潟第二病院眼科勉強会の報告です。参加できない方も、近況報告の代わり にお読み頂けましたら幸いです 報告:第218回(14‐04月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会   演題:「視覚障害とゲームとQOLと…」   講師:前田義信 (新潟大学工学部福祉人間工学科)     日時:平成26年4月9日(水)16:30 〜 18:00      場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  http://andonoburo.net/on/2633 【講演要旨】  こんにちは,新潟大学のマエダです.こんな私を,第141回(2007年11月),第164 回(2009年10月),第218回(2014年4月.今回)と,計3回も話題提供者として本勉 強会にご招待下さりまして,安藤先生に深く感謝申し上げます.いつも話ばかりでは 面白くないかと思いまして,新潟大学大学院生のマツバヒロシ君に協力してもらい, 今回はゲームを持ってきました.皆さんで一緒に遊びましょう!どうでしたか?楽し かったですか?楽しかったけど,時折飛び出すマエダのボケとツッコミが邪魔でし たって?こりゃ失礼しました.  今回持ってきましたゲームは,私の共同研究者でもある大阪電気通信大学のニイカ ワ先生(漢字では新しい川,シンカワと書いて新川先生です)のところで開発したキ キミミと呼ばれるゲームシステムです.このシステムの中に,トランプゲームのよう な体裁のゲームをプログラムすると,音声だけで楽しめるゲームが出来上がります. あまり褒めるとニイカワ先生から「褒め殺しか!」とツッコミ食らいそうですが,何 を隠そう!いや,全く隠してませんけど,キキミミは本当に良く出来ています.あま りに完成度が高いので,新潟大学の私の研究室ではこのゲームシステムをオンライン 化させてもらっています.  さて,キキミミもそうですし,私の研究室で作っているスゴロクとかザトウイチ ゲームとかもそうですが,これらは「視覚障害者が晴眼者と“対等”にプレイ可能な ゲーム」であることを謳っています.「対等」という漢字は「タイトウ」と読みます が,これを「駘蕩」と表記しても全く構いません.今は春ですしね.春風駘蕩たる雰 囲気の中,視覚障害者も晴眼者も老若男女も関係なく全員が楽しめたら,それが一番 です.  閑話休題.失礼しました.“対等”の話でした.なぜ対等に拘泥したかと言えば, それはゲームなんかなくても日常生活では何も困らない,まぁ,ゲームというもの は,あってもなくても,基本は困らない“役に立たない”ものだからです.逆に役に 立つものであれば,例えば,白杖であれ,何らかの音声装置であれ,視覚障害者はそ れらの使い方を教えて貰う際にどうしても晴眼者より立場的には下になってしまいま す.なぜなら白杖は視覚障害者には必要でも晴眼者には必要ないからです.つまり対 等ではないんですね.  これまでの私は「エンジニアとして役に立つものを作れないか」と微に入り細を 穿って周囲を眺めまわしては「自分の作るものはまだまだ役に立たない!」と憤慨す る若者でした.ですが“役に立つ”とは,一体全体,誰の役に立つのか.仮に視覚障 害者の役に立つのだとすれば,それを壮語する私は何様だ?と,うっかり考えてし まったのでした.  誰かの役に立つ研究をすることは,工学の世界では大変重要なことですし,それを 目指さないければ,エンジニアの存在価値は社会的にないのかもしれません.です が,誰かの役に立つのだ,と,誰かさん側ではなくエンジニア側から発言した時点 で,エンジニアである私はその誰かさんを「上から目線」で無意識に見ている構造に なると気付きました.そして,そんな自分が,突然,嫌になったんですね.  教師と学生の関係も同じ構造ですね.教師が学生を「上から目線」で見ない限り 「教育」は成立しない.たとえ人間的あるいは知識的に教師が学生と同じレベルかそ れ以下であったとしても「教師が上から目線で学生を見る」構造が成立しない限り講 義はできないし教育もできません.そうか!だから私は20年前に大学の先生になると きに悩んだんだなぁと今更ながら自分のことを理解しました.“理解する”の英語は “understand”ですが,理解するときは上ではなく下(under)の立場に立つ (stand)ことなのだと安藤先生から教わりました.なるほど恐れ入りました!  大学の先生は立派な仕事をしている.それに異論はない.そんな職業に憧れるのは 当たり前の感情だ.なのに,どうして自分は大学の先生になることを20年前に躊躇し 悩んだのか.そうか.やっと分かった.まさにアンダースタンド.教育の場では,教 師と学生の間で“上から目線”の関係を無理にでも作らねばならない,それが自分に は嫌だったのだ.だから悩んだのですね.  今ではすっかり「上から目線」に慣れてしまったマエダですが,少なくとも研究に 関しては,初心に戻って,視覚障害者を“上から目線”で見るのではなく,同じレベ ルで“対等”に遊んでみようと思ったのであります.すると“役に立つか否か”とい う概念はどうでもよくなりました.そして,視覚障害者が誰の力も借りることなく楽 しめるためには視覚を使ってはいけない.これが必要条件.そして,たとえ視覚を使 わないゲームであっても晴眼者が楽しめないと意味がない.これが十分条件.必要十 分なゲームとはどんなものかを考えることになりました.今回,持ってきましたキキ ミミはまさに上記の必要十分条件を満たしたゲームなんです.  よく「その研究にはニーズがあるのか?」ということを学会では問われたりします が,たとえニーズをくみ取ったとしても,これも「上から目線」の構造であることに 変わりはない.本当はニーズなんかあるのかないか誰にも分からない可能性もあるの に,そこから無理にニーズを引き出したとすれば,それも「上から目線」の構造のな せる技ですから.内田樹さんによれば(ちょっと難しいかもしれませんが)「ニーズ は“ニーズを満たす制度”が出現した後に,事後的にあたかもずっと以前からそこに 存在していたかのように仮象する」ものだからですね.  だから,たとえ宮澤賢治のように「みんなからデクノボーと呼ばれて」も,一度 “役に立つか否か”とか“ニーズがあるのか否か”いう概念から解放されたエンジニ アに私はなってみよう,と思ったのでした.こんな発言をしたら,学会の偉い方々か らしっかり怒られて“パコッ!”とデコピンされるかもしれませんが,そのときはデ クノボーではなくデコノボーと呼んでくれましたら誠に幸いです.ああ,やっぱりダ ジャレで話を終えてしまった. 【略歴】  昭和63年 大阪府立大手前高等学校卒業  平成5年 大阪大学基礎工学部生物工学科卒業  平成7年 日本学術振興会計測制御工学分野特別研究員  平成10年 大阪大学大学院基礎工学研究科修了(博士(工学))         新潟大学工学部福祉人間工学科助手  平成17年 新潟大学工学部福祉人間工学科助教授  平成19年 新潟大学工学部福祉人間工学科准教授 【後記】  講演の冒頭に、「上から目線」「役に立つこととは?」「対等ということ」等々の フレーズについての解釈の紹介がありました。何かしてあげるという姿勢は、上から 目線ではないか?本当に対等にお付き合いするにはどうすればいいのか?という問い 掛けは、いつも気にしていることです。  こうした考えを背景に考案されたゲームを講演時間大半を費やして行うというこれ までの勉強会にない新鮮な勉強会でした。初めは参加者も戸惑いがちでしたが、その うちに持ち札に文句を言うもの、「待った」を掛けるもの、ゲーム参加者もそれを見 守る観客も、結構マジでエキサイトしていました。  障碍者の機器開発は、生活に役立つものが優先されがちですが、このような視点で のゲームの開発は本当に必要なことだと、ゲームにのめり込みながら感じました。  参加者から、「役に立つ」研究かどうかは気にしなくてもいい。ご自身が面白いと 思ってやっている研究ならば、きっといつかは何かの「役に立つ」時が来るのではな いかという感想も届きました。  前田先生の、そして新川先生(大阪電気通信大学)の今後の発展を祈念致します。