報告:第192回(12‐02月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会    演題:「源氏物語にみる心の病       (千年前と変わらない人のこころと、紫式部が伝えたかったこと)」    講師:櫻井 浩治 (新潟大学名誉教授・精神科医)     日時:平成24年2月8日(水)16:30 〜 18:00      場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 【講演要旨】  「源氏物語」は、今から約1千年前の平安時代の中頃に書かれた、帝の子供であり ながら帝を継げない光(ひかる)源氏と呼ばれた男性の生涯を描いた長編小説です。  この小説にはマラリヤや、気管支炎や脚気など身体の病気も出てきますが、それよ りも心の病、あるいは心が関係した病が圧倒的に多く描かれています。  先ず小説の冒頭に出てくる「女御(にょうご)、更衣(こうい)あまたさぶらひ給ひけ る中に」と始まる、この「あまた」(多く)いる帝(みかど)(天皇)の后(きさ き)(妻)達(父の位が帝の親族か大臣である后は「女御」、それ以下の位の父を持つ 者は「更衣」と呼ばれました)の中にあって、帝の寵愛を一身に集め、光るように美 しく賢い皇子を産んだために、第一皇子の母であった女御と寵愛をそねむ他の更衣ら によって、徹底的にいじめられる「桐壺」と呼ばれる更衣の病と死があります。  このいじめは、桐壺の生んだ皇子(光源氏)を、帝が「源氏」とい姓を与えて除籍 し、帝を継げない身分にしたにもかかわらず続いたため、桐壺は里に帰りたいと帝に 願うのですが、何時も病気がちな桐壺を、たいしたことはないと思って許しません。 しかし光源氏が3歳の時に、日増しに状態は悪くなり、ほんの4〜5日でげっそりと痩 せて意識さえないような状態になり、驚いて帝も里帰りを許すのですが里帰りしたそ の余に死んでしまいます。この里帰りの時にも、いじめを避けて隠れて宮廷を出た、 と言いますから、そのいじめのすごさが察しられます。  このようにしてみますと、この桐壺の更衣の死に至る病は、「長期にわたる心理的 ストレスによって生じた身体的病」であり、多分「胃潰瘍」(心身症)と診断される のではないでしょうか。夏目漱石のように「胃潰瘍」による出血によるものではな かったでしょうか。 桐壺の更衣は母と娘の桐壺の二人っきりの家庭でした。桐壺は心理的ストレスを避け たり和らげる手段がなかったのです。  桐壺の更衣の母が後を追うように亡くなるのも、現代、問題にされている頼れる人 を亡くした後の「喪失体験」が残された人の免疫に変化をきたして、重篤な疾患をひ き起こす、という状態があったのだろうと思います。  更には光源氏の妻「葵の上」は、妊娠中に「ものけ」につかれて大変苦しい出産を し、また出産後もはかばかしくなく、しばらくして亡くなってしまいます。この妊娠 中の状態は、激しい「つわり」の状態でしたでしょうし、産後の状態は、産後の肥立 ちが悪い、つまり「産後精神障害」のうちの一つか、「妊娠中毒」状態が考えられま しょう。両方が重なったのかもしれません。光源氏と葵の上の間は、やや冷たくなっ ていたのですから。  また光源氏が最も大事にした妻「紫の上」は、38歳の時、光源氏のう浮気のことを 考え、自分をはかなんでいた朝方、胸が痛くなり激しい苦しみに襲われます。その後 も発熱や食欲も無くなるという症状が数日続いては良くなり、また悪くなるなど、 4ヶ月程繰り返し、一時は仮死状態になりますが、光源氏の熱心な看病や加持祈祷を 変えるなどして治り、元気になります。  これなども、突然、死に至るのではないかという胸部違和感を覚え、口の渇きやひ 汗、脱力など、全て不安恐怖からの自律神経の緊張状態なのですが、発作的に生じま す。救急車などで受診し、心電図などの検査を受けて異常が無いといわれ、その頃に は症状は治まり、やれやれと思っていると、また急に同じような状態にさいなまされ て受診しても同様の結果で、心配ないと言われます。が、ついにはまたおきるかも知 れないという不安がつきまとい、その不安がまたこの症状を生む、という不安発作、 今で言うパニック障害におちいってしいます。この状態は、現在は不安を取る薬の服 薬で治ります。  さらには光源氏の親友の息子「柏木」が、あろうことか光源氏の年若い妻に強引に 横恋慕し、その結果子供が出来てしまいます。それを知っ柏木はl家にこもり、うつ うつと物思いにふけってばかりいて、何がどうと言うわけでないが寝込んで頭が上が らない、という状態になります。そして源氏にも親にも申し訳ないと自分を責め、親 も従者も皆彼を好青年だと思っているのに、本人は、自分の過去を悲観的に見、将来 にも自信がなく、この世に生きていく価値の無い男だ、と思うようになります。  このように、現在私達が「うつ病」と診断する状態になってしまいます。実を言え ば、光源氏も同じような事態を若い時に経験していながら、光源氏は「うつ病」にな らない。これは二人の性格や相手の態度の違いが関係しているように思われます。  その他、髭黒の大将の妻「北の方」は、(今はこのような診断名は使いませんが) 「ヒステリー」による解離性精神症状を呈し、離婚になりますし、光源氏の母違いの 兄の帝は、光源氏が、都を離れ須磨で過ごしていた時、夢で睨まれた父の帝のことが 気になり目が悪くなります((具体的な症状はわかりません)。その後、母親に反対 されたのですが、光源氏を都へ戻しますと、わずらっていた眼症状が治ります。これ もまた、心理的原因の眼の症状と言えるでしょう。  このように、源氏物語にはさまざまな「心の病」が出てくるのです。その上光源氏 より年上の皇太子の未亡人「六条の御息所(みやすどころ)」が、「もののけ」となっ て光源氏の妻や恋人(夕顔、葵の上、には生霊、紫の上、女三の宮には死霊)につい て悩ませ、病の原因にもなっています。これはその場面を良く読んでみますと、光源 氏へめぐっての嫉妬からでは無く、光源氏が六条の御息所(みやすどころ)の誇りを逆 なでするような、自尊心を傷つけるような光源氏の言動がきっかけになり、それを恨 んで「もののけ」となって現れ、光源氏の代わりに彼女らに憑(つ)いている事が判り ます。  ここで見た心の病も、全て「自尊心」が傷つけられた状況下で生じていて、結局 は、男性は女性の自尊心を大切にしないととんだことになりますよ、と紫式部は源氏 物語で主張したかったのではないでしょうか。  小説ではありますが、作者紫式部の父も兄も夫も藤原氏の一族であり、自らも天皇 の后に仕えたこともあって、当時の宮廷の状況を、かなり忠実に描写していると言わ れています。登場する人物も、自らが見聞きしたモデルが背景にあるからこそ、当時 の読者を惹きつけ、そこに真実がうかがわれるからこそ、千年間も読み継がれている のではないでしょうか。  例えば、今日お話しするパニック障害に似た症状は、当時最高の政治家であった藤 原道長が、それとおぼしき疾病に悩まされていた事が、道長自身の日記や、公卿の日 記に記されていることからも推測されるのです。当時の現実の帝、三条天皇は眼症状 があって後に失明している、とも言います(藤原道長の日記「御堂関白記」や平安時 代の公卿藤原実資の日記「小右記」。詳しくは服部敏良著「日本医学史研究余話」参 照のこと)「真実は小説より奇なり」といいますが、「小説は現実を映し出す鏡」と も言えましょう。  私達は源氏物語から千年前から人は今に変わらぬ愛や嫉妬や不安や自尊心に揺り動 かされた人間関係に悩み、現代病同様の心身の反応を生じていた事がわかります。 そして病の原因が判らなかった当時は、多くを「ものけ」の仕業と考え、その不安の 解消を、宗教、特に加持祈祷に頼った、という歴史的事実が、現代人にも尚存在して いるように、私には思われことがあります。 【略歴】  昭和11年1月生まれ。新潟大学医学部卒業、  慶応義塾大学医学部精神神経科学教室で精神科臨床を学び、  新潟大学、新潟医療福祉大学などに勤務。両大学の名誉教授。医学博士。  第39回日本心身医学会総会会長を務める。  一般向けの著書として「源氏物語の心の世界」(近代文芸社刊)、「乞食の歌ー慈 愛と行動の人良寛」(考古堂刊;第5回新潟出版文化賞優秀賞受賞) 【後記】  1000年前のお話なのに、櫻井先生がお話しすると現代の物語のような親近感を覚え ます。今回のお話に出てきた、ストレス潰瘍、妊娠中毒症、ヒステリー性障害、パ ニック障害、うつ、、、人が織りなす人間関係は、1000年前と変わらないと思いまし た。  下記の言葉も、印象に残ります。  人間は誰でも不安を持っている(不安な存在)  笑いの効用は言われているが、泣くことも大事。  影も大事、、、、等々  今度こそ、源氏物語を読んでみようと思いました。  【済生会新潟第二病院眼科 勉強会連絡先】   950-1104 新潟市西区寺地280-7    済生会新潟第二病院眼科 安藤伸朗    phone : 025(233)6161 fax : 025(233)6220    e-mail:gankando@sweet.ocn.ne.jp