公開講座 報告2 「高次脳機能と視覚の重複障害を考える〜済生会新潟シンポジウム」  2)演題:「高次脳機能障害と視覚障害を重複したB氏のリハビリテーション」    講師:野崎 正和 (京都ライトハウス鳥居寮;リハビリテーション指導員) 【講演要旨】  B氏の4年間に及ぶリハビリテーション期間の内、前期(2007年8月〜2008年3月の9か月)の取り組みに ついて報告した。  T B氏のプロフィール   1.基本情報     40代男性、S市在住、妻・娘と同居。   2.生活歴・職業歴     教師として20数年間勤務。野球部の監督や同和教育・生徒指導の担当者として活躍していた。   3.疾病・診断名     脳梗塞(2006年10月)・全盲・軽度の高次脳機能障害。前頭葉・右側頭葉・両後頭葉・脳梁に広 範囲の損傷。   4.高次脳機能障害の症状     易疲労性、集中力の低下、注意障害、記憶障害(前向健忘)、空間認知障害、遂行機能障害など があった。   5.訓練開始時点での強み     孤立感、孤独感が強く精神的に混乱しているが、真面目で前向きな性格や、知性や判断力が健在 であることを感じさせる言動も見られた。家族の支援もしっかりしていた。  U B氏のリハビリテーションの経過  『前期の課題』  安心できる環境とゆっくりした時間の流れの中で、適度で適量な刺激を提供すること。  全盲+記憶障害+空間認知障害は非常に厳しい条件だが、何とかして日常生活でのADL自立をめざす。  『前期の状況』  B氏も奥さんも、切羽詰まった状態でわらをもすがる思いで鳥居寮に来られた。本人の孤立感・孤独感 は非常に強いと思われる。  現状は世界も能力も縮小した状態にあるが、潜在的能力はあり、徐々に拡大していく可能性は大きい。  この段階での行動上の困難は大きいが、指導員との関係が中心であり比較的環境調整が容易なため、歩 行訓練士でも対応が可能だったと考えられる。  『前期の支援方針』  毎日朝夕に職員の打ち合わせをして、状況の確認と対応の統一を図る。  初期には易疲労性に留意し休憩を多く取り、また注意障害を考慮して伝えることは一度にひとつかふた つに留める。感情と結びついた記憶は残りやすいため、出来れば楽しい記憶にするように務める。予定し た訓練をこなすことより、B氏の語りをゆっくり聴き、受け止めることのほうが重要であるという視点を もつ。  『B氏に対して実施した、主に認知にかかわる訓練技法』  ・エラーレスラーニング:迷う前にタイミングよくB氏にとって分かりやすい話し方で正しい答えを提 示する。  ・構造化:日課や家具の配置、移動ルートなど、さまざまなことをわかりやすくシンプルにすること。  ・環境調整:施設での人間関係や家族に対する支援などもふくめて、B氏が落ち着けるような環境を作 ること。  ・スモールステップ&シェイピング(段階的行動形成):行動をわかりやすい小さな単位に分けて考え る、それをもとに、行動を作り上げていくこと。逆シェイピングという技法もある。  ・過剰学習:確実に誤りがなくなり自信がつくまで繰り返し練習すること。  ・手掛かりの活用:触覚的なわかりやすい手掛かりを設置することで、手続き記憶の強化を図る。  ・記憶の強制は避ける:自然な形で記憶力を使うようにしていく。  ・ポジティブ・フィードバック:良いところを見つけて伝える。少しずつでも自分で出来ることが増え ると、自己効力感・自己肯定感を高めることにつながる。  ・散歩の活用:季節の風を感じること。感覚入力の豊かさが脳に対する良い刺激になる。  ・般化:鳥居寮で出来るようになったことが、自宅でも出来ることを目指す。  V まとめ  高次脳機能障害と視覚障害を重複した方のリハビリテーションを進めるために、また当事者や支援者を 孤立させないために、多くの人たちが経験や意見を交流できるネットワーク作りが必要ではないだろう か。 【略歴】  1950年生まれ。岡山県津山市出身     立命館大学文学部卒業。  1979年京都ライトハウスに歩行訓練士として入職(日本ライトハウス養成9期)     以来歩行訓練士として31年間同じ職場に勤務。  (2011年3月末定年 その後は嘱託で仕事を続る予定) @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@  3)演題:「前頭葉機能不全 その先の戦略                    〜Rusk脳損傷通院プログラムと神経心理ピラミッド〜」    講師:立神 粧子 (フェリス女学院大学音楽学部および大学院音楽研究科教授) 【講演要旨】  2001年秋、夫が仕事中に突然解離性くも膜下出血で倒れ、後遺症として高次脳機能障害が残った。2年 ほど大きな改善は見られず悶々としていたなか、2004年大学からのサバティカルの1年を利用して、New York大学リハビリテーション医学Rusk研究所の通院プログラムに参加した。Y.Ben-Yishay博士が率いる Rusk研究所は脳損傷通院プログラムの世界最高峰と言われている。  Ruskの訓練は、神経心理ピラミッドを用いたホリスティックなアプローチである。Ruskでは器質性によ る前頭葉機能不全を前提としている。認知機能を9つの階層に分け、ピラミッドの下が症状の土台であ り、その基本的な問題点が改善されていなければ、ピラミッドのそれより上の問題点の解決は効果的にな されないとする考え方で、ピラミッドの下から訓練は行われる。9つの階層とその説明は下から以下のと おりである。 T.「訓練に参加する自主的な意欲」  自分に前頭葉の機能不全があることに気づき、その問題に立ち向かうために自らの意思で参加するとい う強い思い。 U.「神経疲労Neurofatigue」  「覚醒」「警戒態勢」「心的エネルギー」に関する欠損。脳損傷による脳細胞の欠損のために、日常生 活のすべてが以前より困難となり、脳損傷者は常に神経が疲労しやすくなっている。 V. (1)「無気力症Adynamia」  心的エネルギーが過少であることによる問題。基本的に「自分から〜をする」ことができない。   1:自分から何かをする発動性の欠如、   2:発想の欠如、思いの連鎖がない、   3:自発性の欠如、無表情、無感動。 (2)「抑制困難症Disinhibition」  心的エネルギーが過度であることによる欠損。自分で次の諸症状を意識し、抑制することができない。   1:衝動症、2:感情の調整不良症、3:フラストレーション耐性低下症、4:イライラ症、   5:激怒症、気性爆発症、6:多動症、7:感情と認知の洪水症。 W.「注意力と集中力Attention & Concentration」  選択的注意とその注意力を維持する集中力に関する問題。 X.「コミュニケーション力と情報処理Communications & Information Processing」  情報のスピードについてゆくことと情報を正確に受信し、人にわかるように発信することに関する問 題。 Y.「記憶Memory」  出来事を習得したり覚えておくことができなくなる記憶の問題と、自分に欠損があるということの気づ きが途切れる問題。記憶断続症。 Z. (1)「論理的思考力Reasoning」   1:言われたことや書かれたことをまとめたり、同類に分類できる力である「収束的思考力、まとめ 力」の問題と、   2:異なる発想を思いついたり臨機応変に対応できる力である「拡散的思考力、多様な発想力」の問 題。 (2)「遂行機能Executive Functions」   日常生活における以下の能力に関する問題。   1:ゴール設定、2:オーガナイズ(分類整理)する、3:優先順位をつける、4:計画を立てる、   5:計画通りに実行する、6:自己モニターする、7:トラブルシュート(問題解決)する。 [.「受容Acceptance」  自分に機能不全があり人生に制限がついたという事実を認識して受容できること。真の受容には下位の 階層のそれぞれの症状に対する戦略を自ら使い、自己を高める努力が伴う。そういうことの必要性を真に 理解すること。 \.「自己同一性Ego-identity」  脳損傷を得ても、「自分が好きな自分」でいるために、以下の過去・現在・未来の自分を再統合し、障 害を得た新しい自己を再構築すること。  1:発症前に何かを達成できた自分、  2:障害を得た自分に必要な訓練や努力に現在進行形で取り組んでいる自分、  3:機能不全による限界を認識しつつ将来こうなりたいと思う自分。  神経心理ピラミッドの働きの大まかな説明は以上である。Ruskではこれらすべての階層の問題のひとつ ひとつに戦略(対処法)がある。月曜日から木曜日までの朝10時から午後3時まで、対人コミュニケー ションや個別の認知訓練、カウンセリングまでをも含む構造化された時間割の中でシステマティックな訓 練が行われる。  こうした訓練と戦略のおかげで、絶望的だった夫との生活は奇跡的に改善され、希望が持てる人生を歩 みだすことができた。    【略歴】  1981年 東京芸術大学音楽学部卒業  1984年 国際ロータリー財団の奨学生として、シカゴ大学大学院に留学  1988年 シカゴ大学大学院にて音楽学で修士号取得、博士課程のコースワーク修了  1988年 南カリフォルニア大学大学院へ特待入学  1991年 南カリフォルニア大学大学院にてピアノ演奏(共演ピアノ)で音楽芸術博士号取得  1993年 帰国後、フェリス女学院大学音楽学部および大学院音楽研究科の専任講師  〜現在 フェリス女学院大学音楽学部および大学院音楽研究科教授、音楽芸術博士  http://www.ferris.ac.jp/music/bio/m-04.html  − − − − − − − − − − − − − − − − − − − −− − −  1985年 シカゴ・コンチェルト・コンペティション優勝  1988~91年 コルドフスキー賞、最優秀演奏家賞受賞  1992年〜現在 ベルリン・フィル、ロンドン響、バイエルン放送響、フィレンツェ歌劇場、MET歌劇 場などの欧米の主要オーケストラの首席奏者や歌手たちと国内外で共演。世界各地でリサイタル多数。  − − − − − − − − − − − − − − − − − − − −− − −  ご主人の小澤富士夫氏は、東京芸術大学のトランペット科を卒業後、プロの演奏家として活躍。その後 ヤマハで新製品の研究開発業務に携わり、ヤマハ・フランクフルト・アトリエの室長として長年ヨーロッ パに赴任。  帰国後の2001年、仕事中にくも膜下出血を発症、後遺症として高次脳機能障害(記憶障害、無気力症、 認知の諸問題)が残る。  高次脳機能障害を治すためサバティカルを利用して、1年間ご主人とともに米国に滞在し、ニューヨー ク大学Rusk研究所「脳損傷通院プログラム」に通う。ご主人は奇跡的に回復し、一人で大阪に出張できる ほどになった。 *「ニューヨークRusk研究所の神経心理ピラミッド理論」  2006年 『総合リハビリテーション』(医学書院)4月、5月、10月、11月号に、「NY大学・Rusk 研究所における脳損傷者通院プログラム」を治療体験記として発表。以来Rusk研究所の通院プログラ ム、神経心理ピラミッド、機能回復訓練などに関する講演を行う。  2010年11月『前頭葉機能不全 その先の戦略:Rusk通院プログラムと神経心理ピラミッド』  医学書院より出版。医学書院のHPに以下のように紹介されている。  「高次脳機能障害の機能回復訓練プログラムであるニューヨーク大学の『Rusk研究所脳損傷通院プログ ラム』。全人的アプローチを旨とする本プログラムは世界的に著名だが、これまで訓練の詳細は不透明な ままであった。本書はプログラムを実体験し、劇的に症状が改善した脳損傷者の家族による治療体験を余 すことなく紹介。脳損傷リハビリテーション医療に携わる全関係者必読の書」。   http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62912