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フィンゲルの仲間と取り組んだ出前授業

済生会新潟第二病院眼科勉強会の報告です。参加できない方も、近況報告の代わりに読んで頂けましたら幸いです。

報告:第238回(15-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会 田中正四

演題:「フィンゲルの仲間と取り組んだ出前授業~工夫を重ねて子供たちの心をキャッチ~」
講師:田中正四(胎内市)
日時:平成27年12月02日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
http://andonoburo.net/on/4249

講演要約

 私の所属する(新発田音声パソコン フィンゲル)は、1996年に寄贈された1台のデスクトップパソコンと五名の視覚障がい者と五名のボランティアスタッフにより音声ワープロ教室としてスタートした。

 翌年には、市内のサマーキャンプ・フェスティバルに参加し、障がい者理解の浸透を目的に学校訪問を精力的に取り組み、同年には、市内の商業高校の文化祭にて、音声パソコンによるデモ実演を成功させるに至った。以来、今日まで地域の小・中学校を主とした学校訪問を(出前授業)と称して継続してきたが、歴史の長さと共に近年では諸問題に直面する事となった。

 今回私の報告は、その歴史と先輩諸氏の努力により築き上げた(出前授業)の変化と、地域独特の活動の困難を乗り越え、さらには、ボランティアスタッフの減少の中で、障がい者自から取り組んだ数々の工夫と改革の一例を紹介するものである。

 その改革は、2012年に永年私達のスタッフとして指導や運営を担っていただいたスタッフの退会により、(出前授業)の依頼の日程調整から、授業内容の決定、メンバーの構成と時間配分にいたるまで、私達障がい者の手で立案し、実践する事となったのである。(出前授業)では、視覚障害の解説や、日常生活の様子、白杖や盲導犬の有効性などが主な内容であるが、小、中学校の子供たちに障害の理解と工夫や努力を伝えるためには、作文を読むような内容では、理解されない。回数を重ね、反省と改善により、毎回の(出前授業)では、アイディアいっぱいの説明が聞かれるようになった。

 私は会社務め時代に学び得た(計画・実行・確認・改善)のサイクルを繰り返す事の重要性を再認識させられた。そんな仲間達の改善例を紹介したい。
 その1)子供達を集中させるために、ゲームやクイズで声を出させ、体を動かして、やわらかな雰囲気を作る。しかし、このゲームやクイズは、答えの中に視覚障害に対する思いや声かけの必要性、又、覚えてほしい事などを織り込むのである。
 その2)家庭生活の様子では、いかに上手に料理ができるかの説明だけではなく、(少しくらい大きさが異なっていても、口の中に入れれば、おんなじ食べ物ヨ。) と、障害であるために時には、寛容な考え方もしなくてはならない事を理解させる。
 その3)音声パソコンを指導する仲間は、あえて画面をクローズし、音声を聞いて文字を聴きとらせ、簡単な文章を完成させる。必ず2~3人のグループで構成し、数回の予習復讐ができるように工夫を加える。
 その4)白杖、盲導犬の解説では、その有効性に加え、思わぬ危険性やお願い事項を織り込んで説明する。例えば、白杖での歩行時のヒヤリ体験や(盲導犬は、信号 の色が判断できない)などと、安全確保の重要性や意外な事などを紹介するのである。
 その5)視覚障害の説明では、小学校の高学年や中学生には、統計的数字を加えた説明を行い、印象深い説明を心がける事ができた。

 さらに、今年から取り組んだ事として、障害経験の浅い会員にも(出前授業)に参加していただいた。経験の浅い人の苦労話や、失敗談が子供たちに視覚障害をより理解して貰えると考えたのである。もちろん、本人と家族の了解のもと同意を得て、奥様にも同席していただいた。(階段で転倒した事・食事のおかずを全てご飯に乗せてドンブリ飯にした)と失敗や食事の楽しみを失った事を説明し、奥様からは、(階段を腕を組み、数えながら一緒に上った。仕切りのある食器を用意して、時計方向におかずを説明した。)などと家族の工夫を話していただき、私達も初心に帰った思いであったし、子供たちには当事者と、家族や周囲の協力、そして、本人の努力が重要である事を教える事が出来たと考える。

 現在、次年度の目標も検討中である。現在ブラインド体験や、誘導歩行の説明を晴眼者にお願いしているが、説明解説を私達自身で実践したい。又ブラインド折り紙などにより、その困難性やカン・コツをポイントで説明できないもか検討中である。さらには、盲導犬のスーツ・ハーネス等の意味や必要性、加えて補助犬法についても解りやすい解説ができたらと考えている。

 フィンゲルの(出前授業)のカリキュラムは多種であるが、学校や地域の求めに応じてさらに可変的に対応したいものである。今回の私の報告内容は、決してめずらしいものではないが、参加していただいた方や、読んでいただいた皆様の参考になればと願うものです。

略歴

1952年 長岡市(旧越路町)生まれ
1968年 日立制作所入所
2003年 腎不全により透析開始
2007年 視覚障害1級
2007年 日立製作所退社
2010年 盲導犬貸与される

後記

 盲導犬が5頭参加しての勉強会。何よりも、田中さんお話を聞いている時の参加者の楽しそうな笑顔が印象的でした。
 いつも田中さんは、つかみが上手い。今回の講演はこんな小噺から始まりました。「以前、初孫が大きくなったらおじいちゃんの眼を治してあげると言っていたが、今は断念したようだ。そのかわり二人目の孫が、将来は消防士になりたいと言い出した。「消防士になるなら、イッパイ勉強しないといけないよ」と言ったら、『消防士になれなかったら医者になる』と言っています。」
 今回のお話で、障がい者理解の浸透を目的に学校訪問を、自ら工夫を重ねて精力的に取り組んでおられていることを知りました。素晴らしい活動です。応援していきたいと思います。

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